YSミニ辞典(お遍路関連)

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歩き遍路(あるきへんろ) : 四国八十八カ所の遍路道を歩いて巡礼すること。
    独り歩き遍路のほか、夫婦などの複数での歩き遍路がある。
    88カ所の全寺院を巡ると、その総距離は365里(約1460km)で、
    1日の走行距離は30〜40kmにもおよぶ。所要日数は約40日が目安とされている。
    歩き遍路に適した季節は春と秋で、特に秋は空気が澄み、山間部の紅葉も楽しめる。
    具体的時期としては、9月の中旬〜11月の中頃がもっとも歩行に適しているが、
    同時に巡拝者の数も増えるので、宿所や納経時間の確保をしておくことが肝心である。
    歩き遍路の参考書物 : へんろみち保存協力会(HP)
                    四国八十八カ所ウォーキングガイド(四国観光立県推進協議会HP)
    歩き遍路の参考HP : ★秋元海十・四国八十八ケ所・独り歩き遍路の旅四国八八カ所歩き遍路
     ★歩き遍路へようこそ歩き遍路の基本情報四国へんろ、道先案内
     ★歩き遍路準備品・四国お遍路ツアー用品〜ウォーキング百貨店
     ★ベルガモ館(初めてのお遍路)★歩き四国遍路
弥谷寺(いやだにじ) : 第71番札所。香川県三豊郡三野町大見乙70ある真言宗善通寺派の寺院。
    石段は急勾配の262+108段で、88カ所中でも有数の難所と言われている。
    本堂は大師堂のある境内から、さらに170段を登ったところの計540段あり、
    岩山に取り囲まれるような形で建っている。本尊は千手観世音菩薩
    遍路用品・一式あり。宿泊・なし。TEL:0875−72−3446
大窪寺(おおくぼじ) : 第88番札所。香川県さぬき市長尾町多和兼割96にある真言宗大覚寺派の寺院。
    逆打ち(さかさうち)の旅はこのお寺が始点となる。養老年間(717〜724)に行基が堂を建立し、
    その後弘法大師が巡錫中、胎蔵ケ峰の岩窟で求聞寺法を修し、ホラ貝を持った珍しい姿の
    薬師如来を刻んで本尊とし、堂宇を整えたという。遍路の締めくくりの結願寺なので、
    結願したお遍路さんが奉納した金剛杖や菅笠が大量に置かれている。TEL:0879−56−2278
納札(おさめふだ、のうさつ) : 納め札。納経札(のうきょうふだ)。お参り前に本堂、大師堂横の納札箱
    に納める5cm×15cmくらいの札のことで、あらかじめ氏名・住所・願意などを記入しておくとよい。
    元々は、写経した般若心経を納めた木の札を打ちつけていたが、それを簡略化したものだという。
    納札の色は、巡拝の回数によって異なり、1802(享和2)年の「四国道中手引案内」には、
    二回青、三回赤、四回黄、五回白、六回黒とあり、1836(天保7)年の「四国遍路道中雑誌」には、
    七回赤、十四回から青、十八回から黄、女一回から文字無しの白とある。
    最近は、白札(巡礼1〜4回)・緑(青)札(5〜7回)・赤札(8〜24回)・銀札(25〜49回)・
    金札(50〜99回)・錦札(100回以上)の6種類に定められているようである。回数は本人が納札に書く。
    何処の札所でも100枚綴りの白札が50円、緑と赤札が300円、銀と金札が500円で買える。
    お経を納めた巡拝者の「功徳」を分けて頂けるお札としてお守りの代わりになるとされいる。
    お遍路の名刺と言うべき存在で、お接待を受けた際にはお礼として納め札を差し上げるのが
    礼儀である。納め札を頂いたらお守りとして身に付けるか仏壇に置いておき、
    願い事が叶うと他のお守り同様にお寺へ納めに行きましょう。
お遍路(Ohenro、pilgrimage)おへんろ : 祈願のために四国の霊場、弘法大師ゆかりの八十八箇所の
    お寺を巡礼してまわる事をいい、「歩くこと」であり、「生まれ変わる」ことであるとも言われている。
    「お遍路」とは「辺地」を意味し、かつての四国は辺土と呼ばれていたことから、辺土→遍土→遍路と
    なったと言われている。熊野権現の修行者らは山(この世)と海(あの世)の接する良場所を探し修業、
    山を背景にして海を拝んだのだそうで、空海の名も、見える「空」と「海」からでたとか。
    修行の内容は「歩き」「読経」「座禅」で、中でも「歩き」が最重要課題であったそうです。
    今から約1100年前に、弘法大師によって四国八十八カ所巡礼が開かれ、
    全行程1400kmを越える四国4県の霊場を巡拝する行事になった。現在では、
    バスや乗用車等の乗り物によって、記念に御朱印を集めながらの観光遍路が多いそうです。
    なお、西国、知多四国、坂東、秩父、江戸御府内など霊場めぐりは全国にあるが、お遍路とは呼ばない。
    お遍路を始める理由は、三者三様で、罪を洗い流す。信仰を求める。その歴史や寺文化、自然に
    直接触れたいという好奇心。人生の岐路にあたり、どうしていいかわからないときに自分の道を探す。
    自分自身を見つめ直したいとき。誰かのために、あるいは平和のために祈りたいとき、等々。
    とにかく歩きたいという人もいるし、社会のしがらみ、心の垢を洗い流し、
    大自然との融和を感じることによって、「何か」を得たいという人もいる。
    お遍路はこういった人々のために長い間存在し、
    彼らの心の探求を地元の人たちが温かく見守り、お接待などの施しまでしている。
    四国巡拝にどれくらいの日数を要するかというと、参り方によっても違うが、歩いて40日前後、
    乗り物を利用して20日前後、巡拝バスで12・3日、自家用車・タクシー利用で8日ぐらいが普通である。
    [季語]春−行事。
    四国霊場八十八カ所
    
    県別道場
    
    四国88カ所お寺マップ(日本サプリメントの「暮らしいきいき」2010年11月号より)
    札所番号の前の記号は宗派別で、
     ●は真言宗高野派、は真言宗御室派、は真言宗豊山派、は真言宗智山派、
     ▲は真言宗大覚寺派、は真言宗善通寺派、は真言宗石鉄派の総本山、は真言宗醍醐派、
     ★は高野山真言宗、は真言宗総本山、は真言律宗、◆は臨済宗妙心寺派、は真言宗東寺派、
     ■は曹洞宗、は天台宗、は時宗、は天台寺門宗、は天台宗単立。本尊は、紫色の太字。
    徳島県(阿波の国)発心の道場…第1番〜23番
    ●第1番「霊山寺(りょうぜんじ)」 = 霊山寺(別掲)
    ●第2番「極楽寺(ごくらくじ)」鳴門市大麻町…一番札所の霊山寺同様、行基によって開基された。
     弘法大師が彫刻し、国の重要文化財に指定されている本尊の4尺5寸の
     阿弥陀如来座像は本堂に安置されているが、秘仏のため未公開。
     弘法大師が植樹したという樹齢1100年以上の巨木・長命杉、仏様の足型を型どった
     仏足石などがある。遍路用品は、納経帳、お守りなどの単品はあり。宿泊・250人。
    ●第3番「金泉寺(こんせんじ)」板野郡板野町…聖武天皇の勅願により、天平年間に行基が
     開基したもので、その当時は金光明寺と称されていた。その後、来錫された弘法大師が
     水不足に悩む住民の声を聞き、井戸を掘ったところ、そこから霊水が湧き出たことから金光明寺から
     金泉寺に改称されたという。本尊は三尺の阿弥陀如来で、脇士の薬師、阿弥陀の三尊とも大師の作。
     遍路用品は、納経帳、お守りなどの単品はあり。宿泊・100人。
    第4番「大日寺(だいにちじ)」 = 大日寺(別掲@)
    第5番「地蔵寺(じぞうじ))」板野郡板野町…811(弘仁12)年に嵯峨天皇の勅願により
     弘法大師が開創。本尊は大師が刻んだとされる、高さ約5cm余りの甲冑を身につけ
     馬にまたがった勝軍地蔵菩薩。その後、浄函上人が、権現のお告げと霊木を授かって下向し、
     2尺7寸の延命地蔵尊を刻み、大師の刻まれた本尊を胎内に納めた。
     境内の裏山には日本最大の五百羅漢があり、「羅漢さん」の俗称のほうがよく通っている。
     また境内にあるイチョウは樹齢800年に余り、「たらちね銀杏」と呼ばれている。
    ●第6番「安楽寺(あんらくじ))」板野郡板野町…人気のある宿坊に設置された
     浴槽にラジウム鉱泉や薬草を入れた長寿湯が宿泊客に喜ばれている。
     行脚中の弘法大師が堂宇を建立し、薬師如来を刻んで本尊とされた。
     境内の「さかさ松」は、大師お手植えのものとして有名である。遍路用品・一式あり。宿泊・300人。
    ●第7番「十楽寺(じゅうらくじ)」板野郡土成町…弘法大師が刻んだといわれる阿弥陀如来の本尊が、
     現在も安置されている。朱色と白色のコントラストが美しい中国風の鐘楼門で知られる。
     昔から盲目に霊験ある寺として知られる。寺宝に、真田幸村の茶釜がある。
     遍路用品・一式あり。宿泊・270人。
    ●第8番「熊谷寺(くまだにじ)」板野郡土成町…弘法大師が等身大(6尺の立像)の
     千手観世音菩薩を刻み、胎内に熊野権現から授かった1寸8分(5.5cm)の金の観音像を納め、
     堂塔を建立して安置したことが寺の始まりという。四国地方最古最大を誇る多宝塔(二重の塔)は、
     安永3年頃(約200年前)剛意上人が建立したものである。
    ●第9番「法輪寺(ほうりんじ)」板野郡土成町…88カ所で唯一といわれる珍しい
     寝姿の仏像の涅槃釈迦如来が祀られ、5年に一度開帳される。境内の売店で売られている
     手作りの草餅がお遍路さんに人気。遍路用品は、納経帳、お守りなどの単品はあり。
    ●第10番「切幡寺(きりはたじ)」 = 切幡寺(別掲)
    ◆第11番「藤井寺(ふじいでら)」 = 藤井寺(別掲)
    ●第12番「焼山寺(しょうさんじ)」 = 焼山寺(別掲)
    ▲第13番「大日寺(だいにちじ)」 = 大日寺(別掲A)
    ★第14番「常楽寺(じょうらくじ)」 = 常楽寺(別掲)
    ■第15番「国分寺(こくぶんじ)」 = 国分寺(宗教関連に別掲C)
    ●第16番「観音寺(かんのんじ)」徳島市国府町…741(天正13)年に、聖武天皇の勅願道場として創立。
     その後、816(弘仁7)年に弘法大師が訪れ、等身大の千手観世音菩薩を刻んで本尊とし、
     両脇侍に不動明王と毘沙門天を安置した。
    第17番「井戸寺(いどじ)」徳島市国府町…本尊の七仏薬師如来は聖徳太子の作と言われている。
     815(弘仁6)年に弘法大師が訪れ、本尊を拝んだ後、国宝指定の十一面観世音菩薩、
     十二神将四天王、脇侍の日光菩薩と月光菩薩を刻んで安置した。弘法大師が自分の杖で
     一夜にして掘ったという井戸にのぞき込んで自分の姿が映れば無病息災、
     映らなければ3年以内に不幸があるというから怖い。
    ●第18番「恩山寺(おんざんじ)」小松島市田野町…大師堂に安置されている本尊の薬師如来は、
     814(弘仁5)年、41歳の時に弘法大師自らが彫刻したものである。
    ●第19番「立江寺(たつえじ)」小松島市立江町…747(天平19)年に、聖武天皇の勅願によって
     光明皇后の安産を祈願しつつ、行基が金の地蔵菩薩「延命地蔵尊」を彫り、それを本尊に堂塔を
     建立したのが始まり。その後訪れた弘法大師が、小さな金の像では後世になって紛失する恐れが
     あると、自ら約1.8mの地蔵尊を刻み、小さな金の像をその胸の部分に納めて安置した。
    ●第20番「鶴林寺(かくりんじ)」勝浦郡勝浦町…昔から「一に焼山、二にお鶴、三に太龍」と言われて
     いたほど、巡拝の難所である。弘法大師が彫刻したという本尊の地蔵菩薩は国宝に指定されている。
     本堂の横には大師自ら植えたといわれる菩提樹がある。「東寺」という俗称のほうがよく通っている。
    ●第21番「太龍寺(たいりゅうじ)」阿南市加茂町…四国霊場の第三の難所。本尊は弘法大師自らが
     刻んだ虚空蔵菩薩で、幸福、人徳、財力、知恵を無限に授けてくれる仏様だといわれている。
     境内には、多宝塔、大師堂、求聞持堂、護摩堂、六角経堂などがあり、
     そのスケールの大きさから「西の高野」と呼ばれている。
    ●第22番「平等寺(びょうどうじ)」阿南市新野町…弘法大師が加持水求めて杖で井戸を掘ると、
     乳白色の水が湧き出たという。この水によって、人々が平等に救済されるようにと、寺号を定めた。
     本尊は薬師如来。遍路と言っても観光遍路に始まりいろいろな人がいる。
     中で、一番真剣なものは、医者にも手放されひたすら大師に縋り、
     奇跡を信じて巡拝する人たちであろう。(これを四国病院へ入院すると言う)
     この寺には、大正12年にイザリが治ったという高知の人のものなど3台のイザリ車が奉納されている。
    ●第23番「薬王寺(やくおうじ)」海部郡日和佐町…弘法大師が本尊の薬師如来を刻み安置し、
     厄除けのの根本祈願寺としたといわれている。
    高知県(土佐の国)修行の道場…第24番〜39番
    第24番「最御崎寺(ほつみさきじ)」 = 最御崎寺(別掲)
    第25番「津照寺(しんしょうじ)」室戸市室津…807(大同2)年に弘法大師が開いた寺で、
     海で働く人の無事と豊漁を祈願して延命地蔵菩薩を刻み、堂宇を建立して安置したという。
    第26番「金剛頂寺(こんごうちょうじ)」室戸市室戸…807(大同2)年に、嵯峨天皇の勅願により
     弘法大師が開いた寺で、山門の正面に立つ本堂には、大師の手による薬師如来が安置されている。
     毎年12月31日から翌年1月8日までご開帳される。また、山門左手にある大師堂では、
     毎年旧暦の3月21日にのみ、弘法大師像がご開帳される。
    第27番「神峯寺(こうのみねじ)」安芸郡安田町…行基が十一面観世音菩薩を刻んで本尊とし、
     神仏を合祀した。809(大同4)年には弘法大師が聖武天皇の勅命により来錫、諸堂を整えた。
     四国霊場の中でも寺内の景観の美しさで知られ、梅、ツツジなどの花の名所としても名高い。
    第28番「大日寺(だいにちじ)」 = 大日寺(別掲B)
    第29番「国分寺(こくぶんじ)」 = 国分寺(宗教関連に別掲D)
    第30番「善楽寺(ぜんらくじ)」高知市一宮…土佐神社(一の宮)の別当寺として、
     大同年間(806〜810年)に弘法大師によつて建立された。
     境内には本堂、大師堂、子安地蔵像、梅見地蔵などがある。本尊は阿弥陀如来
    第31番「竹林寺(ちくりんじ)」 = 竹林寺(別掲)
    第32番「禅師峰寺(ぜんじぶじ)」 = 禅師峰寺(別掲)
    ◆第33番「雪蹊寺(せっけいじ)」高知市長浜町…延暦年間(782〜806)に弘法大師が開山、
     鎌倉時代には仏師・運慶と長男の湛慶が来山。天正年間(1573〜1592)には月峰和尚が入山し、
     真言宗から臨済宗に改宗して寺号を高福山雪蹊寺とした。本尊の薬師如来は運慶晩年の作といわれ、
     鎌倉時代の作風を伝える銘品で、国の重要文化財に指定されている。
    第34番「種間寺(たねまじ)」吾川郡春野村…平安時代初期に弘法大師が来錫し、百済の
     仏師が彫った薬師如来を本尊に寺を開創した。薬師如来は国宝で、旧暦1月21日にご開帳される。
     吹き抜けの建物の中に、たくさんの柄杓それも底の抜けた柄杓ばかりがぶら下がっている。
     妊婦が柄杓を持参して安産祈願を頼むと寺で底を抜き、二夜三日祈祷して渡す。
     妊婦はそれを床の間に祀っておき、安産するとお礼にその柄杓を納めに来るのである。
     お手洗いの金属製の柄杓まで底が抜けたりしているから面白い。
    第35番「清瀧寺(きよたきじ)」土佐市高岡町…723(養老7)年に行基が薬師如来を刻み開基した。
     その後、弘仁年間(810〜824)に弘法大師が巡錫した。
    第36番「青龍寺(しょうりゅうじ)」土佐市宇佐町…境内の本堂、大師堂、薬師堂が一直線に並ぶ
     伽藍配置は、唐の青龍寺を模している。波切不動明王は弘法大師が安置したという。
    第37番「岩本寺(いわもとじ)」高岡郡窪川町…天平年間(729〜749)に行基開基した寺で、
     弘法大師にまつわる7つの不思議な伝説が伝わっている。
     本尊は阿弥陀如来観世音菩薩不動明王薬師如来地蔵菩薩
     八十八ケ所を巡る総行程は約1400km、従って札所間の平均距離は約16kmという計算になる。
     その札所間の最長距離は、この37番から38番で、約100kmある。
     そして最短は、68番と69番の間でほとんど0ということである。
    第38番「金剛福寺(こんごうふくじ)」土佐清水市足摺…四国最南端の足摺岬の突端に位置する
     この寺は、12万平方メートルの広大な敷地を誇る大寺院で、本尊の三面千手観音菩薩は秘仏だが、
     正月、初観音、春祭りなど特定の日に公開されている。
    第39番「延光寺(えんこうじ)」宿毛市平田町…724(神亀元)年、行基が開基した寺を
     795(延暦14)年に弘法大師が巡錫し、日光・月光の両脇侍を安置して札所を定めて寺を再興した。
     本尊は薬師如来
    愛媛県(伊予の国)菩薩の道場…第40番〜65番
    ▲第40番「観自在寺(かんじざいじ)」 = 観自在寺(別掲)
    第41番「龍光寺(りゅうこうじ)」北宇和郡三間町…本尊は十一面観世音菩薩で、
     脇士の不動明王・毘沙門天の傍には、もとの本尊の稲荷大明神がまつられていることから、
     「三間のお稲荷さん」とも呼ばれている。例年、3月の第一日曜にはお稲荷さんの大祭が行われている。
    第42番「仏木寺(ぶつもくじ)」北宇和郡三間町…807(大同2)年に弘法大師が楠の大木で
     大日如来を刻み、宝珠をその眉間に納め、寺を建立したことから「大日さん」と呼ばれて親しまれている。
     最近では、牛馬家畜の守り仏から転じて、ペット霊の供養に訪れる人も多いという。
    第43番「明石寺(めいせきじ)」東宇和郡宇和町…欽明天皇(539〜571)の時代に、勅願によって
     円手院正澄という行者が千手観世音菩薩を安置し、七堂伽藍を建立して開基したといわれる。
     734(天平6)年には、寿元行者が紀州熊野より十二社権現を勧請し、12坊を建立して、
     修験の道場とした。その後、822(弘仁13)年に嵯峨天皇の勅願により、
     弘法大師が訪れて荒廃した伽藍を再興し霊場に定めた。
    第44番「大宝寺(だいほうじ)」浮穴郡久万町…この寺は仁平2(1152)年、
     天正年間(1573〜1592)、明治7年と3度も火事に遭ったことで有名。
     本尊は十一面観世音菩薩
    第45番「岩屋寺(いわやじ)」上浮穴郡美川村…弘法大師が木と石の不動明王を刻み、
     木像は本尊として本堂に、石像は山に封じ込め、山そのものを本尊とした。
     この寺の本堂は、大師堂から石段を三・四段下がったところにあり、大師堂より小さい。
     それは、本尊の不動明王が二体あって、本像のほうは安置してあるが、石像の方はお山に
     封じこんである。しまり、お山全体がご本尊ということで、これが本堂の小さい理由である。
    第46番「浄瑠璃寺(じょうるりじ)」松山市浄瑠璃町…708(和銅元)年、行基により開基。
     自ら本尊の薬師如来、脇仏の日光、月光菩薩像、十二神将像を刻んだ。
     807(大同2)年に弘法大師が巡錫し、堂宇を創建した。
     遍路にとって、道端の標石はありがたい。最近の調査によれば、愛媛県下の遍路道の標石は
     564基あり、その中で、年号の刻まれた最古のものは「へんろ道 貞享乙丑・・・・・」と自然石に
     刻まれたものである。この寺の近くの土用部池の堤防にあり、貞享乙丑とは1685(貞享2)年である。
    第47番「八坂寺(やさかじ)」松山市浄瑠璃町…行者・役小角(えんのぎょうじゃおづぬ)によって
     開基され、701(大宝元)年、伊予の国司越智玉興が、文武天皇の勅願寺として創建した。
     815(弘仁6)年に来錫した弘法大師が、長期間に渡って逗留して再興した。
     本尊は平安時代中期の代表的な僧・恵心僧都作と言われる御丈三尺で寄木造りの阿弥陀如来
     秘仏とされていて、開帳は50年に1度に限られ、次回のご開帳は2034年。
    第48番「西林寺(さいりんじ)」松山市高井町…807(大同2)年に四国巡錫中の弘法大師によって
     再興された。寺の西南にある杖の淵公園の水は、大師が見つけた水脈の一つで、
     今も水が湧き出ていて、日本の名水百選にも選ばれている。本尊は十一面観世音菩薩
    第49番「浄土寺(じょうどじ)」松山市鷹子町…天平勝宝年間(749〜757)に孝謙天皇の勅願で、
     恵明上人が行基作の釈迦如来をまつって創建したと伝えられている。
     自分の像を刻んだ空也上人像は重要文化財に指定され、
     空也上人像が安置されているのは、京都の西国六波羅蜜寺と浄土寺の2体だけである。
    第50番「繁多寺(はんたじ)」松山市畑寺町…天平勝宝年間(749〜757)に孝謙天皇により、
     行基が創建したといわれている。本尊の薬師如来は行基によつて刻まれた。
     弘仁年間(810〜824)年に弘法大師が巡錫し、寺号を光明寺から繁多寺に改めた。
     また、時宗の一遍上人の修行の場としても知られている。
    第51番「石手寺(いしてじ)」松山市道後町…四国霊場で随一の寺宝、文化財を有している。
     本尊の薬師如来は729(天平元)年に行基が開眼した。
     1318(文保2)年に河野通継が建造した仁王門は国宝に指定されている。
    第52番「太山寺(たいさんじ)」松山市太山寺町…739(天平11)年に行基が
     十一面観世音菩薩を刻み本尊として安置した。この寺の大師堂の奥に長者堂がある。
     この堂には、孤児で炭焼きをしていたが三輪明神のお告げで久我大臣の娘玉津姫と結婚し、
     金鉱を発見して長者となった真野の小五郎と、その娘般若姫を祀っている。この姫は、
     用命天皇がその婿になろうと、草刈童にまでなって近づいたという話があるほどの美人だったらしい。
    第53番「円明寺(えんみょうじ)」松山市和気町…「和気の圓明さん」の愛称で親しまれている
     この寺の開基は、749(天平勝宝元)年、聖武天皇の勅願を受けた行基が、
     自ら阿弥陀如来を彫って安置したという。
    第54番「延命寺(えんめいじ)」今治市阿方…行基が天平年間(729〜749)に不動明王を刻み、
     近見山の頂に七堂伽藍を建立したのがはじまり。池普請の時、わざと竹筒に粥を入れて持参させ、
     農民たちの苦しみを代官に訴えたという利口な庄屋越知孫兵衛の墓が鐘楼の側にある。
     上訴は打ち首という時代に、この策略で収穫の七割を年貢として納めていたのを
     6割にまけてもらい飢餓の年にもその村からは餓死者を出さなかったというのだから偉い話である。
    第55番「南光坊(なんこうぼう)」今治市別宮町…四国霊場で唯一「坊」のつく寺である。
     大師堂と金毘羅堂は、戦火を免れた歴史ある建造物で、とりわけ金毘羅堂は、
     文久年間(1861〜1864)創建の歴史ある建物であり、大師堂は大正5年に建立された。
     地元の人から「別宮のお大師さん」の愛称で親しまれている。本尊は大通智勝如来
    第56番「泰山寺(たいさんじ)」今治市小泉…815(弘仁6)年、この地を巡錫していた弘法大師が、
     地蔵菩薩を刻んで本尊とし、寺を建立した。泰山寺には山門はなく、
     左右に細長く伸びた境内には一列に本堂、納経所、宿坊が並んでいる。
     この寺では、昭和52年8月1日を創刊号として、毎月3回、タブロイド版4ページ建ての「同行新聞」を
     発行している。副住職の大本弘章さんが、印刷機も買い、自分で編集・印刷・発行という一人三役を
     果たして毎号2千部を出す。もちろん経済的には赤字だが、寺のあり方の1つとして注目を集めている。
    ●第57番「栄福寺(えいふくじ)」今治市玉川町…弘仁年間(810〜824)に嵯峨天皇の勅願により
     弘法大師によって開かれた。本尊の阿弥陀如来は海の中から出現したといわれている。
     この寺に、1806(寛政10)年九州から来た人の納経帳が保存されている。
    ●第58番「仙遊寺(せんゆうじ)」今治市玉川町…「おされさん」の愛称で親しまれている寺で、
     天智天皇(662〜672)の勅願により国守・越智守興公が堂宇を建立した。
     本尊は海かに上がった竜女が彫り上げたといわれる千手観世音菩薩
    第59番「国分寺(こくぶんじ)」 = 国分寺(宗教関連に別掲E)
    第60番「横峰寺(よこみねじ)」周桑郡小松町…修験僧の開祖・
     役行者小角(えんのぎょうじゃおづぬ)が開基したと言われている寺で、
     西日本最高峰の石鎚山(1982m)の中腹にある。大同年間(806〜810)には、弘法大師が来錫し、
     本尊として大日如来を刻んで安置た。境内は石楠花の名所として名高い。
    第61番「香園寺(こうおんじ)」周桑郡小松町…用明天皇(585〜587)の病気平癒を祈願して
     聖徳太子が創建したと伝えられている。弘法大師が唐から持ち帰った大日如来の金像を本尊の
     胸に納め、霊場に定めたという。現在も多くの人から「子安の大師さん」と信仰を集めている。
     先住の瑞円師が子安講を組織し、全国に(世界に)20万の信者をつくり、
     そのお陰を受けた人のお礼の奉納写真が何千枚と本部にある。
     又、現在の弘瑞師が、本道にかわるものとして、昭和51年に6億円をかけて建てた大聖堂は
     鉄筋コンクリート地下1階、地上2階、2階だけで827の固定椅子席があるという壮大さである。
    ●第62番「宝寿寺(ほうじゅじ)」周桑郡小松町…天平年間(729〜749)に伊予国一の宮の
     ご法楽所として建立された。大同年間(806〜810)に弘法大師が来錫し、
     光明皇后を型どった十一面観世音菩薩を刻んで本尊とした。本尊は秘仏のため、公開していない。
    第63番「吉祥寺(きちじょうじ)」西条市氷見…四国霊場の中で唯一、毘沙門天を本尊とする寺で、
     「米持ち大権現」とも呼ばれている。この寺にはマリア観音という珍しい像が秘仏として保管されている。
     また、本堂前に「成就石」と名づけられた大石があり、直径30〜40cm穴が開いている。
     本堂前から目隠しをして石まで進み、願い事を唱えながら
     金剛杖を穴に通すことができれば願いが叶うといわれる。
    第64番「前神寺(まえがみじ)」西条市州之内…奈良時代に役行者・小角が開基したと伝えられ、
     石鉄修験道の根本道場でもある。本尊は阿弥陀如来
     毎月20日に開かれる権現様縁日では、19時30分から3体の蔵王権現がご開帳され、
     体の悪い所や痛いところをこすりつけて御利益を祈願するという。
     この寺は真言宗石鎚派及び石鎚山修験道の総本山で、西日本一の高山。
     日本七霊山のひとつ。海抜1982mの石鎚山を後に控えている。
     石鎚神社は神仏両部の合祀であったが、明治3年の神仏分離令で、もとの神社に復した。
    ●第65番「三角寺(さんかくじ)」四国中央市金田町…聖武天皇の勅願により行基が開基し、
     その後、弘法大師が十一面観世音菩薩像を安置した。
    香川県(讃岐の国)涅槃の道場…第66番〜88番
    第66番「雲辺寺(うんぺんじ)」三好郡池田町…四国霊場の中で最も高い場所にある札所で、
     「四国高野」とも呼ばれている。本尊は千手観世音菩薩
     土佐から来て阿波を席捲し、当時破竹の勢いであった長曽我部元親がこの寺の裏山に登り、
     四国を併合せんとの野望を語ったとき、旧知であった俊崇という当時の住職が
     「それは茶釜の蓋で水桶に蓋をしようとするもの」、
     つまり分不相応なことはやめなさいと諫めた話が「四国軍記」に書かれている。
    ▲第67番「大興寺(だいこうじ)」三豊郡山本町…822(弘仁13)年、嵯峨天皇の勅願により
     弘法大師が熊野三所権現鎮護の霊場として開いたのがはじまりと言われている。
     本尊の薬師如来は檜材一本式の座像で、大師の一刀三礼の作と伝えられている秘仏。
    ▲第68番「神恵院(じんねいん)」観音寺市八幡町…69番の観音寺とともに、
     一つの境内に二つの札所がある一寺二札所で、とても珍しい構えになっている。
     納経所でも両札所の納経を一緒に行うことができる。本尊は弘法大師が描いた阿弥陀如来像。
    ▲第69番「観音寺(かんのんじ)」観音寺市八幡町…室町時代初期の建築とされ、
     金堂と呼ばれる本堂は、国の重要文化財に指定されている。本尊は聖観世音菩薩
     裏山の琴弾き山頂から見下ろせば、海浜に寛永通宝の銭形が見える。
     直径は120mと92mと、見下ろして丁度円形に見えるように、なかなかの工夫をしている。
     弘法大師が杖で描かれたという時代の合わない話は別として、
     領内巡視の丸亀藩主京極高俊のために一夜のうちにつくりあげたものという。
    ●第70番「本山寺(もとやまじ)」三豊郡豊中町…807(大同2)年、平城天皇の勅願により、
     弘法大師が一夜のうちに建立した「一夜建立」の寺と伝えられている。本尊は馬頭観世音菩薩
     本瓦葺きの重厚な建物は、1300(正安2)年に建てられたもので、国宝に指定されている。
     天正年間、長曽我部元親が讃岐に入ってきたとき、ここに陣を構えようとした。
     断った時の住職に切りつけたが、倒れたその僧には傷もつかず、御堂の中に入ると、
     阿弥陀如来の腕から血が流れていたので、さすがの荒武者達も驚き恐れて退いたという。
     かくて、この寺は、戦火にかからなかった数少ない寺の一つとなった。
    第71番「弥谷寺(いやだにじ)」 = 弥谷寺(別掲)
    第72番「曼荼羅寺(まんだらじ)」善通寺市吉原町…596(推古天皇4)年の創建で、
     弘法大師の祖先である佐伯家の氏寺として建立された。807(大同2)年、唐から帰国した大師が
     亡き母の菩提を弔うため、青龍寺を模して伽藍を建て、大日如来を刻んで本尊としたという。
    第73番「出釈迦寺(しゅっしゃかじ)」善通寺市吉原町…弘法大師が薬師如来像を刻み、
     これを本尊とした堂宇を建てた。
    第74番「甲山寺(こうやまじ)」善通寺市弘田町…山門を入ると正面に建っているのが本堂で、
     満濃池工事の無事を祈願した本尊の薬師如来が祀られている。
     大師は、多度津郡の郡司であった父佐伯直田公(善通)と、母阿刀氏(玉依姫)の三男として
     774(宝亀5)年6月15日、この地に誕生した。幼名を真魚といい、
     小さいときから土で仏を作って祀るという遊びをよくした。その遊び場はこの寺の東の辺で、
     仙遊が原と言い、地蔵堂やその飼い犬を埋めたという犬塚などがある。
    第75番「善通寺(ぜんつうじ)」 = 善通寺(別掲)
    第76番「金倉寺(こんぞうじ)」善通寺市金蔵寺町…天台寺門宗の開祖・智証大師円珍の祖父・
     和気道善が774(宝亀5)年に建立した寺で、当時は道善寺と称していた。本尊は薬師如来
    第77番「道隆寺(どうりゅうじ)」 = 道隆寺(別掲)
    第78番「郷照寺(ごうしょうじ)」綾歌郡宇多津町…「厄除けうたづ大師」として信仰を集めている寺で、
     725(神亀2)年に行基により草創された。本尊の阿弥陀如来は鎌倉時代の作で、県指定有形文化財。
    第79番「天皇寺(てんのうじ)」坂出市西庄町…弘仁年間(810〜824)に弘法大師が巡錫のおり、
     薬師如来を彫って寺を建立したという。本尊は十一面観世音菩薩
    第80番「国分寺(こくぶんじ)」 = 国分寺(宗教関連に別掲F)
    第81番「白峯寺(しらみねじ)」坂出市青梅町…本堂には智証大師作の千手観世音菩薩
     安置されていて、人々を様々な災難から救う「身代わり観音様」として信仰されている。
     勅願門前の欅の木を玉章の木といい、その巻いた落葉を「ほととぎすの落し文」という。
     昔、この国に流された崇徳上皇が都恋しさに「啼けばきく聞けば都ぞ慕はるる此里過ぎよ
     山杜鵑(やまほととぎす)」と歌われたので、杜鵑がこの木の葉をくちばしに巻いて、
     つまり鳴き声を出さず、しかし訪れた印にこれを落としたということからの名である。
    第82番「根香寺(ねごろじ)」高松市中山町…本堂へ向かう参道の右側には、
     明治から大正にかけて建てられた大師堂があり、お堂と参道の間には、1本の木に5色に
     染め分けられた葉がつくという珍しい「五色のもみじ」がある。本尊は千手観世音菩薩
     昔この山に牛鬼と呼ばれる怪物が住んで人々を困らせていたので、
     殿様は香川郡安原の弓の名人山田蔵人高清に命じて退治させた。
     高清は、その褒美にいただいた米六石とともにこの牛鬼の角(長さ36cm)を当寺に納めた。
     当寺には、今もその角と1806(文化3)年に石虎という人が描いた牛鬼の軸とが伝わっている。
    第83番「一宮寺(いちのみやじ)」高松市一宮町…大宝年間(701〜703)に義淵僧正が開基した。
     その後、行基が堂塔を修築し、讃岐国一宮。田村神社の第一別当職となり、寺号が一宮寺になった。
     大同年間(806〜810)に弘法大師が逗留し、聖観世音菩薩像を刻み、本尊として安置した。
     本堂前に薬師如来を祀る小さな石の祠(ほこら)がある。この中へ首を突っ込むと地獄の釜の音が
     聞こえるといわれ、罪の深い人は、その意思の扉が閉まって首が抜けなくなるというから怖い。
     その横に、一宮御陵と呼ばれる三基の石塔があり、百襲姫等を祀る。
     隣の田村神社が百襲姫を祀っており、神仏合祀の名残であろう。
    第84番「屋島寺(やしまじ)」 = 屋島寺(別掲)
    ▲第85番「八栗寺(やくりじ)」 = 八栗寺(別掲)
    第86番「志度寺(しどじ)」大川郡志度町…625(推古天皇33)年、尼僧が霊木で本尊を彫り、
     お堂を建てたのが始まりといわれる。重要文化財の仁王門に納められている仁王像は、
     鎌倉時代の運慶作とされている。本尊は十一面観世音菩薩
     この寺でありがたい説教を聴きながら、狩に出かけた弟暮当のことばかりを考えていた兄の当願は、
     仏罰が当たって大蛇に変身させられた。悲しみながらも、自らの目玉を瓶に入れて
     酒を創るよう弟に言い残し、満濃池に入り、後には瀬戸内海の底に入った。
     今でも樽に酒を入れて海に流すと大雨を降らせてくれるという。
    第87番「長尾寺(ながおじ)」大川郡長尾町…739(天平11)年に行基が道端の柳の木で
     聖観音像を彫り安置したのが始まり。本尊の聖観世音菩薩は、
     たびたびの火災にも不思議に無事で、秘仏としてまつられている。
     源の義経の没後、その愛妾であった静御前は、母磯禅尼の出身地(大内郡小磯)ということで
     讃岐にやって来て、この長尾寺で得度し、「宥心」という尼になった。
     その遺跡として、剃髪塚、化粧の井戸、義経を忘れようと
     その形見の鼓「初音」を沈めた鼓が渕、住んでいた庵跡の静薬師などがある。
    ▲第88番「大窪寺(おおくぼじ)」 = 大窪寺(別掲)
    県別お寺一覧は「有限会社映像工房ベック」のホームページをお薦めします。
    しかし、寺名が太字のみが動画や写真が見られることから、
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    お遍路に関わる用語(50音順)
    【歩き遍路】 = 歩き遍路(別掲)
    【一国参り、または一国打ち】 : 1つの県を一国とし、四国4県を4回で巡るやり方をいう。
    【打つ】 : 霊場(札所)にお参りすること。昔は名前を書いた木の納め札をお寺の柱、
     鴨居などに釘で打ち付けていた習慣に由来してこの言葉が残っている。
     「○○番を打ちました」といえば、○○番にお参りしたことになる。
    【打ちぬけ】 : 霊場にきた道を戻らないで、境内から次へと進む道に出ること。
    【打ちもどり】 : 霊場から次の霊場へ巡拝する場合、もと来た道を再び引き返すこと。
    【おいづる】 : 笈摺。一番上に着る白衣(白装束)のことで、
     背中に「南無大師遍照金剛」と書くのは、「自分はお大師さまを信じています」という表明でもある。
    【笈摺(おいずる)】 : 笈(リュックサックの元祖)を負う時に、摺れないよう白衣の下に着るもの。
     後を三幅にして、父母のない物は白、ある者は左右を赤、片親の者は中を赤く染めたと言う。
    【お袈裟(おけさ)】 = 輪袈裟(わげさ)に同じ。
    【納札(おさめふだ、のうさつ)】 = 納札(別掲)
    【お接待(おせったい)】 : 「お接待」をする事で苦難の道を行くお遍路さんに善行を施して
     自分も功徳を受けるということから、お遍路さんに物品、金銭などを施すこと。接待は善根の施し、
     大師への供養になると信じられている。見ず知らずの人から現金などを貰うことには躊躇するが、
     お遍路さんはこの「お接待」を遠慮せず快く受け取って良いとされている。
     お接待を受けた場合には、弘法大師空海のご宝号を3回唱えることが「遍路としての作法」とされるが、
     お礼に何か差し上げることはしなくてもよい。しじゅう御縁が有るようにと45円を頂くこともあるが、
     「今時こんなお金を・・・」などと思わないで有難く頂戴しましょう。
     みかん、柿などの果物、食堂での無料のコーヒー、産地今治でのタオル、
     遍路宿での昼食の弁当など、すべてお接待の一つです。
      道端に密柑が盛られ、その横に空き缶がぶら下がり「一袋百円」と書いてある。
     遍路は一袋をとり百円を入れていく。無人売店である。この風習は、四国路の方々に
     見られることでありこれがさらに徹底すると、接待というものになる。
     人を信じ、それが人に施す、人を愛すにつながる。遍路の根本に当たるものである。
    【御影(おみえ・おすがた)】 : 持って行くものではなく、納経の際に霊場でいただく
     ご本尊が描かれたお札。
    【御影帳(おみえちょう・おすがたちょう)】 : 巡拝中、霊場でいただく御影を入れる冊子。
    【お礼参り(おれいまいり)】 = お礼参り(別掲)
    【経本(きょうほん)】 : 般若心経や御本尊真言など一連のお経が書かれた、
     四国八十八カ所霊場専用の経本のこと。
     お経はそらんじていても、経本を手にして読むのが正しい作法とされる。
    【区切り打ち】 : 全コースを数カ所ずつ区切ってお参りすること。
    【】 : 長距離を長時間歩くので、「軽登山靴」が望ましい。
     雨天時にも快適に歩け、違和感のないものを選ぶ。
    【靴下】 : フィット感があり、吸湿性に優れたものを選ぶ。
    【結願(けちがん)】 : 四国遍路では、八十八カ所すべてを巡拝し終えることをいう。
     88番・大窪寺は「結願所」といわれるが、途中から打ち始めた場合は、
     88番目に訪れた寺が結願の寺となる。
    【御朱印用白衣】 : 納経帳と同じく来世の旅路に持参するものである。
    【金剛杖(こんごうづえ、こんごうじょう)】 = 金剛杖(別掲)
    【逆打ち(さかさうち)】 = 逆打ち(別掲)
    【山谷袋(さんやぶくろ)】 = 頭陀袋(別掲)
    【宿坊(しゅくぼう)】 = 宿坊(別掲)
    【数珠(じゅず)】 = 数珠(宗教関連に別掲)
    【順打ち】 : 一番札所から順にまわること。 参 : 逆打ち
    【真言(しんごん)】 : 「真実の言葉」を意味し、サンスクリット語の真言密教の経典である。
     唱えると仏の功徳があるといわれ、各寺の本尊ごとに真言があり、
     1番の霊山寺では「のうまく、さまんだ、ぼだなん、ばく」である。
    【菅笠(すげがさ)】 = 菅笠(別掲)
    【(すず)】 = 持鈴(もちすず)
    【頭陀袋(ずだぶくろ)】 = 頭陀袋(別掲)
    【捨て往来手形】 : 明治4年までは、旅をするのに身分証明書が必要だった。今外国に行く場合の
     パスポートのようなものである。ところが、遍路の中には、どこで死んでも自由に始末してください。
     国元には連絡など不要ですと書いた手形を持った者が多くいた。これを捨て往来手形と言う。
    【善根宿(ぜんこんやど)】 : 遍路に一夜の宿を無料で提供してくれる宿のこと。
     近年は泊まる人のマナーが悪いとの苦情もあるので、好意を無にしないよう、
     掃除とお礼を述べるなどの最低限の礼儀は欠かさないようにしましょう。
    【先達】 = 先達(別掲)
    【同行さん(どうぎょうさん)】 : 遍路同士が相手を呼ぶときに使う。巡拝中に会ったときは、
     ご宝号「南無大師遍照金剛(なむだいしへんじょうこんごう)」を唱えて合掌する。
    【同行二人(どうぎょうににん)】 : たとえ一人で歩いていても、
     常に弘法大師がそばにいてその守りを受けており、「常に弘法大師とともにある」という意味で、
     遍路が持つ金剛杖や白衣、遍路笠などに書かれている。
    【通し打ち】 : すべての霊場を中断せずにお参りすること。
    【納経軸(のうきょうじく)】 : 八十八カ所の霊場を全て巡った証であり、
     家宝として子孫に残していく大事なもので、経典などと同様に大切に保管しておく。
    【納経帳(のうきょうちょう)】 : お遍路さん自身が来世の旅路に持参するもので、
     お参りがすんだら、霊場(各札所)の納経の証として、御印(黒書・朱印)をいただく(1回300円)。
     現世でどれだけ功徳をしたかの証といわれ、実質的な護符、すなわち守護札帳でもある。
     納経は1枚ずつバラの紙でももらえるが、一度買うと、その納経帳を一生使用し重ね印をしていく。
     かつては版章を押すのが普通であったが、ほとんどの寺はお遍路さんの好まれる墨書きとなり、
     現在版章を押しているのは第4番の大日寺だけという。納経帳とは、心経や観音経を遍路自身が
     写経して、1カ所ごとに納め、その受納のしるしとして朱印を押してもらうのが本来なのだが、
     最近は写経も奉納しないで、唯単に朱印を押してもらうようになってしまっている。
    【納札入れ(のうさついれ)】 : 納め札を入れるための道具。
    【判衣(はんえ)】 : 霊場で朱印をいただくための白衣。着用とは別に用意する。
     また、亡くなった人の棺桶に納める。
    【番外札所(ばんがいふだしょ)】 : 「別格」ともいい、
     四国八十八カ所に指定された以外の、弘法大師ゆかりの寺。
    【般若心経(はんにゃじぎょう)】 = 般若心経(別掲)
    【白衣(びゃくえ・はくい・はくえ)】 : 笈摺(おいずる・おいずり)とも言い、
     長袖や袖なしの白い単で、純粋な心を表すお遍路さんの正装。
     死装束が由来とされ、俗世を離れて心の清らかさを象徴する浄衣で、
     お遍路さんの代表的な巡拝衣装。長袖を着る人が多いが、暑い時期には袖なしを着用する人もいる。
     これを着ていると、一目で「お遍路さん」とわかり、白くて目立つため交通安全にも役立つ。
     極楽浄土へ旅立ちたいという願いを込めてもう一着持っていく人もいる。
    【札狭(ふださし)】 : 札挟み(ふだばさみ)とも言い、納札を入れる袋。
     首からかけられるようになっている。
    【札所(ふだしょ)】 : 遍路が巡拝する寺。徳島二十三カ所、高知十六カ所、愛媛二十六カ所、
     香川二十三カ所、計八十八カ所の霊場のこと。四国八十八カ所霊場にかぎらず、
     西国三十三カ所霊場や秩父観音霊場など、全国各地にさまざまな形で存在する。
     札所寺は総称としての寺号、その尊敬した呼び名としての山号、
     寺の中の代表的な建物を表す場合の院号と、普通三つの名をもっている。
     札所には、寺号で呼ばれるのが一番多いが、院号がよく通っているもの、稀には「坊」で
     呼ぶところもある。又、この寺のように同名の寺が四つ(他に大日寺が三、観音寺がニ)もある。
    【札ばさみ】 : 八十八の迷いを持つ遍路の意を表して胸に吊るす。
     正面の字は、番号順に廻る人は左、逆の人は右から横書きする風習があった。
    【ヘルス・グリーン・ツーリズムin徳島】 : 歩き遍路をメタボ・血糖値対策に活用しようと、
     徳島県などの実行委員会によって企画された10〜11月に実施されるツアーで、
     健康セミナーと札所巡りを組み合わせた新しいタイプの健康旅行である。
     県内の糖尿病予備軍を対象にした歩行距離12kmの「ツアー1」と、
     観光要素を取り入れた県外在住者も参加でき、歩行距離6kmの「ツアー2」の2種類がある。
     「ツアー1」は事前に行われる2回の健康セミナーの受講またはセミナーDVDでの事前学習が
     義務付けられており、歩数計の記入方法や歩き方が丁寧にレクチャーされるなど、
     一過性のツアー参加に留まらない工夫が凝らされている。
    【遍路ころがし】 : 歩き遍路泣かせの難所のこと。
     たとえば徳島では「一に焼山、二にお鶴、三に太龍寺」といわれ、
     11〜12番、20〜21番へ至る険しい山道や、60番、66番への登りも有名な難所とされる。
    【本尊(ほんぞん)】 : 信仰や祈りの対象となる仏や菩薩のこと。本堂に安置されている。
     四国八十八カ所では、薬師如来をご本尊とする寺が一番多い。
     次いで十一面観音菩薩や阿弥陀如来などがある。
    【本堂と大師堂(ほんどうとだいしどう)】 : 薬師如来や釈迦如来など、
     その寺の本尊を祀っているのが「本堂」で、弘法大師を祀っているのが「大師堂」である。
     巡拝の手順として必ず本堂のあとに大師堂をお参りする。
    持鈴(もちすず、じれい)】 : 道中の魔除けで、巡拝の際に腰につけたり金剛杖に結んだりする。
     歩くたびにチリンチリンと澄んだ音色が響く。はじめての巡拝から持つ人は少ない。
    【輪袈裟(わげさ)】 = 輪袈裟(別掲)
    お遍路の準備 : 紫字は着用しない場合もある。
     菅笠(すげがさ)または登山帽など・金剛杖(こんごうづえ)・納経帳(のうきょうちょう)
     遍路三点セットのほか、白衣(びゃくえ・はくい)輪袈裟(わげさ)・札狭(ふださし=納札入れ)・
     納札(おさめふだ)・持鈴(もちすず)頭陀袋(ずだぶくろ)またはリュックサック・
     数珠(じゅず)・線香・ローソク・・ライターなどの着火道具・お経本(きょうぼん)・賽銭用の小銭・
     筆記用具・懐中電灯・絆創膏・テーピング用テープ(キネシオテープなど)・手甲(てこう)
     脚半(きゃはん)・経験者によると地下足袋や重い登山靴よりキャラバンシューズが最適という。
     ほかにリュックもカバーできる雨具など、一通り揃えると約2万〜5万円ぐらいになる。
     歩く旅の原動力である足を保護する靴は、舗装道路にも疲れない弾力性、
     防水性、撥水性、透湿性のある軽登山靴が適している。
     着替え用の下着は勿論のこと、目薬ほか常備薬や健康保険証やタオル、地図も用意しておきましょう。
     携帯電話もいざという時に助かる。
     八十八箇所の寺をまわったという証明として、各寺で納経帳に受印がもらえる、
     スタンプラリーの要素もある。また、5回目、10回目とお遍路経験が増すごとに納札の
     色が変わっていくという、マニア心をくすぐる制度もある。基本的には服装は白装束ですが、
     最近では洋服の上に白衣を羽織って簡略化する人も多く見受けられる。白衣の背中には、
     「南無大師遍照金剛同行二人(なむだいしへんしょうこんごうどうぎょうににん)」の文字がある。
     これは「苦しい旅の道中も弘法大師が共に修行をしてくれている」ということからで、
     白衣は、冥土へ旅立つ晴れ着ともされている。
    お遍路のルール・マナー(参拝の作法)
    基本的な参拝手順
     1.山門(仁王門)に入る前に仁王さん(門番)に合掌。左手に数珠をかけ、左右の仁王に一礼する。
       中門(ちゅうもん)がある寺では、そこでも一礼して中へと進む。
     2.杖置き場に金剛杖を置き、手水舎の柄杓を手に取り手水で口をそそぎ、手を洗って身を清める。
       正しくは左手、右手の順にかけ、左手に受けた水で口をすすぎ、残った水で柄を浄める。
     3.輪袈裟をかけ、数珠を持ち正装する。(注)トイレに行く場合には袈裟や仏具は持ち込まない。
       本堂へ参拝の前に鐘を1回突く。鐘を突くことを「驚覚」といい、
       仏様を呼び起こしてこちらを向いてもらうのが目的とされる。
       (注)寺によって突けないところがあるので確認しておきましょう。
          早朝の場合には、近所の住民への心遣いとして鐘を突くのは止めましょう。
          また、参拝後に突くのは戻り鐘といって縁起が悪いので止めましょう。
     4.本堂へ参拝
       日除けのためにかぶる菅笠は脱ぐ必要はないが、普通の帽子は取る。
      階段を左から上がって納め札を納め、浄財を投じ、灯明・線香などを供え終えると右から下りる。
      階段の下で開経の偈・般若心経・御本尊詠歌・御本尊真言と唱える。
      ・灯明(奥の上の段から灯すロウソク)と線香(中心から外へ)をあげ、
        (注)灯明をあげるのは、仏様の「知恵」を頂くことから、
           他の人が点けた灯明から火をつけると、その人の業をもらうとされるので、
           ろうそくと線香の火は境内にある種火や自分のライターなどで点ける。
           線香をあげるのは、仏様の「徳」を頂くための作法で、
           本数は、「身・口・意」の三徳を表す3本が一般的だが、1〜2本でもよい。
      ・お賽銭…両手を合わせ「○○家、先祖代々菩提のため」と拝み、
            お賽銭(仏教を守り伝える寺院を維持するためのお布施)を納める。
            額の多少は問題ではないが、お寺からいえば、多いに越したことはない。
            仏や弘法大師への志でもあり、小銭を音を立てて放り投げるのは避け、
            静かに差し入れるように入れる。
      ・納札…お大師さまの御影(みえ)が刷ってある紙の札で、お参りした寺の本堂、
           大師堂(お大師さまがおまつりしてある堂)の「納め札入れ」に住所・氏名・年齢
           日付などのほかに願いごとがあれは「家内安全」「身体健康」などを書いて
           手紙を出すように納める。(注)お寺を訪れる前にあらかじめ書いておきましょう。
           写経を準備している場合は奉納する。
      ・合掌し、心を落ち着けて読経。
       読経例 : @合唱礼拝(胸の前で合唱し三礼)
              A開経偈(かいきょうげ) 一返
              B般若心経(はんにゃしんぎょう) 一巻
              Cその寺の御本尊真言(ごほんぞんしんごん) 三巻
              D御宝号・南無大師遍照金剛(なむだいしへんじょうこんごう) 三返
              E合唱一礼
     5.その後、大師堂へ行き本堂と同様に参拝する。大師御詠歌をあげ、大師宝号を唱え、
       冥黙して願いと感謝の辞を心に念じる。(注)本尊にまつわる真言だけは唱えない。
     6.杖置き場から金剛杖を持って、納経所に入り一礼して納経帳を差し出し、
       本尊名の墨気書きや朱印をもらう。
       (注)納経の受付時間は四国八十八カ所全ての寺が7:00〜17:00まで。
       納経料…納経帳もしくは朱印帳(お寺が出すお布施の領収証を綴じるための帳面):
              300円の納経料を支払う。掛け軸:500円、白衣:200円
       時間に余裕があれば境内を散策するのもよい。
     7.山門を出るときに、本堂に向かって一礼し、右左の仁王さんにも一礼して札所を出る。
    授戒(じゅかい)(十授戒、十善戒)巡礼の旅を始めるにあたり、一番札所の大師堂で「授戒」をうける。
     弘法大師は「諸戒は十善を本とする」と説かれ、身(からだ)と口と意(こころ)のはたらきを
     正しく生きていくことを心に誓い実践していくことを「十善戒」として示されている。
     一、不殺生(ふせっしょう) 生き物を殺さない。
     二、不偸盗(ふちゅうとう) 盗みをしない。
     三、不邪淫(ふじゃいん)  異性に対する邪まな行為に耽溺しない。
     四、不妄語(ふもうご)    うそや偽りをいわない。
     五、不綺語(ふきご)     へつらいをしない。不必要に飾った言葉を使わない。
     六、不悪口(ふあっく)    悪口を言わない。人を傷つける言葉を言わない。
     七、不両舌(ふりょうぜつ) 二枚舌を使わない。
     八、不慳食(ふけんどん)  むさぼらない。欲張らない。
     九、不瞋恚(ふしんに)   怒らない。
     十、不邪見(ふじゃけん)  よこしまな(良くない)考えを起こさない。
    遍路の三信条(旅の心構え)
     1・摂取不捨【せっしゅふしゃ】仏は決して衆民を見捨てず、守ってくださるを信じ、
                        同行二人でいることを忘れずに。
     2・愚痴や妄言を慎む。何事も修行と心得る。
     3・現世利益【げんぜりやく】「今生きているこの世での仏の恵み」を感謝し、
                       巡拝しながら一つ一つ八十八使の煩悩を消していく。
    道中のマナー
     ●宿では、金剛杖を洗う…金剛杖はお大師さまの分身とされ、
                      宿に着くと自分の足よりも先に心を込めて洗い清める。
     ●輪袈裟や念珠は、食事やトイレの際は必ず取り外す。
     ●橋の上では杖はつかない…お大師さまが十夜ケ橋の下で修行なされた故事にちなみ、
                        橋の下ではお大師さまがお休みになっておられるといわれている。
     ●相互礼拝・相互供養…他の同行に会ったときは、
                     「南無大師遍照金剛 (なむだいしへんしょうこんごう)」と唱え挨拶を交わす。
     ●灯明・線香は奥から立てる。他の灯明から火をつけると、その人の業をもらうとされる。
     ●参拝後、鐘を撞いてはいけない…帰りに撞くと、出鐘(戻り鐘)といって、
                           縁起が悪いので、もう一度お参りをし直した方がよい。
     ●地元の方から頂いた「お接待」は快く頂く。
    遍路の泊まる所 : 寺の宿坊、遍路宿、民宿、都市近郊ではビジネスホテルや旅館がある。
     宿坊は宿泊料金が一番安いが、数百人も宿泊可能な規模のお寺は、主に団体客を専門に扱い、
     一人旅の遍路では予約の段階で断られる場合もある。家庭的なサービスを求めるなら、
     昔から主に遍路を客の対象としている遍路宿がいいでしょう。

    現在はバスツアーや自家用車での巡礼が多いが、歩き遍路の場合は、なんと言っても足で、
    マメの対策なしに歩き遍路は語れないと、この道の先輩から聞きました。
     1999(平成11)年に公開された東宝の「死国」という映画で、四国88カ所巡りに、
    死んだ者の歳と同じ回数を逆に廻れば、その死者が蘇るという話があるそうだが、
    親が80歳で亡くなったとして、80回も全行程を「逆打ち」すれば、親が蘇る前に自分が死にそうだね。

観自在寺(かんじざいじ) : 第40番札所。愛媛県南宇和郡御荘町平城2253‐1にある
    真言宗大覚寺派の寺院。51代平城天皇の勅願所として807(大同2)年4月に弘法大師が開いた寺で、
    本尊の薬師如来と脇仏の阿弥陀如来、十一面観世音菩薩の3体は、
    大師自身が1本の霊木から彫ったと伝えられている。
    また、四国霊場の一番札所から一番遠い場所にあることから、「四国霊場の裏関所」と呼ばれている。
    遍路用品・一式あり。宿泊・300人。TEL:0895−72−0416
切幡寺(きりはたじ) : 第10番札所。徳島県阿波郡市場町大字切幡にある真言宗高野派の寺院。
    寺の開創は平安時代で、弘法大師との出会いから即身成仏(千手観音菩薩)になった娘を祀るため
    建立された。本堂正面南の本尊が弘法大師作の千手観音菩薩
    本堂を廻った北面の本尊(観音様)は娘が即身成仏となったもので秘仏として未公開。
    境内には、徳川2代将軍秀忠が大阪の住吉神宮寺(現・住吉大社にあった)に再建寄進したものを、
    1879(明治6)から15年かけて移築した国の重要文化財にも指定されている大塔(二重の)がある。
    桜や梅の名所としても知られている。切幡寺は切幡山の中腹にあるために
    1番からここまでで一番の難所で、333段の急な石段を登るか車1台がやっとの道を
    数百メートル登るかのどちらかにする。遍路用品・単品あり。TEL:0883−36−3010
    
    日本三大塔の一つである切幡寺の大塔
袈裟(けさ) = 袈裟(宗教関連に別掲)
国分寺(こくぶんじ) = 国分寺(宗教関連に別掲)
金剛杖(こんごうづえ、こんごうじょう) = 山伏(やまぶし)などの修験者(しゅげんじゃ)
    巡礼者などが用いる、四角または八角の白木の杖(つえ)で、長さは行者の身長と同じとする。
    四方四面は発心(ほっしん)、修行(しゅぎょう)、菩提(ぼだい)
    涅槃(ねはん)という行者の内心の展開を示し、各面1寸5分(約4.5cm)、
    あわせて6寸は、行者の六大(ろくだい:身体の構成要素)を表す。
    ほかに檜杖(碑杖)(ひじょう)は円形で先達(せんだつ)が使用し、
    担杖(かせぎじょう)は担木(かせぎ)ともいわれ、上部が丁字形で初入新客の使用する杖をいう。
    金剛杖は大日如来をあらわす五輪塔の形をしている。五輪塔はすなわち大日如来、
    つまり弘法大師のことである。杖は弘法大師の身代わりとされ、弘法大師と同行二人で聖地を踏み、
    大師の御加護で無事に巡拝出来ると伝えられ、脚の負担を軽くしてくれるという。
    一日の巡礼を終えて宿に着くと真っ先に金剛杖の先を洗い、
    きれいに拭いて今日の感謝と明日の無事を祈り、床の間などに立てることになっいる。
    「遍照金剛(へんじょうこんごう)」とは弘法大師が唐の国へ留学した時に
    恵果和尚(けいかわじょう)から授与された称号(宝号)で、「南無(なむ)」とは「あゝ」と感嘆する言葉。
    これを続けると「あゝありがたい弘法大師様」という意味になる。
    遍路はこれを唱えながらお札所(おふだしょ)を巡る。
    遍路結願(へんろけちがん:お寺をすべて打ち終えること)の八十八番大窪寺には、
    長い遍路を共にした金剛杖がたくさん奉納されている。
    あるとき、大師が43番の明石寺の地に巡錫されて行き暮れ、宿を貸す者もないままに橋の下で
    一夜を過ごされた。余りの寒さに、一夜も十夜のように感じたと歌われた。
    その時の大師の心を思って恐れ慎んで遍路は橋を通るとき杖をつかなくなったという。
    43番から44番への途中に、その御遺跡として「十夜ケ橋」がある。
    
    金剛杖(上) 鈴・カバー付き(表装の詠智会HPより)
    
    金剛杖(般若心経入り) 鈴・カバー付き
    金剛杖の上部の五輪(地水火風空)の塔に直接手が触れないよう金襴(きんらん)などを巻いておく。
    橋の上ではでついてはならない。ていねいに扱い、宿泊所では真っ先に杖の先を洗い清め、
    床の間などの部屋の一番良い場所に立てかけて置く。
逆打ち(さかさうち) : 四国88カ所巡りには札所を廻る順番があるが、これを逆に巡拝すること。
    逆打ちは難コースが多いので、 逆打ち1回は順打ち3回と同じ功徳・ご利益があるといわれている。
    弘法大師は常に四国を巡っているという信仰があり、逆回りするともしかしたら
    弘法大師に会うことができるかも知れない、という事ことから始まったという説がある。
    閏年(うるうどし)は4年に1度の「逆打ち」の年とされ、2012年はその年となる。
    道しるべはすべて順打ち用に整えられているので、迷うことも珍しくないそうだ。
    逆打ちの祖、衛門三郎物語
     伊予に居を構えていた強欲な長者、衛門三郎は、ある日、托鉢に訪れた弘法大師を邪険に追い払った。
    その直後から、8人の子どもたちを相次いで亡くしてしまう。己の罪深さを知った衛門三郎は、
    弘法大師に謝罪する遍路に出たものの、88カ所を20周回っても大師に会えなかった。
    そこで21週目に逆回りをしたところ、阿波の焼山寺付近でやっと出会えた。
    この21周目の年が閏年だった、という伝説が逆打ちの由来という。
宿坊(しゅくぼう) : 各寺院が参拝客の宿泊施設として経営している宿のこと。
    事前に電話などで予約をすれば、仏教徒でなくても、宗教が違っても、迎え入れられる。
    寺や神社に泊るところもあれば、宿泊やイベント用に近代的な建物を備えたところや、
    一つの大きな寺社の周りにいくつもの宿坊が集まっている宿坊街もある。
     特別な準備はいらないが、一般の旅館と違ってタオルや浴衣、
    歯ブラシなどの備品がない宿坊もあるので、予約の際に確認しておきましょう。
     普通の旅館と変わらないが、朝のお勤めに参列し、説法が受けられる。
    お勤めは希望者のみ参加の宿坊が多いが、早起きして積極的に参加しましょう。
     「宿坊」は遍路だけのものでなく、京都の妙心寺(東林院)、浄蓮華院(じょうれんげいん)
    奈良の寺院をはじめ、高野山の福智院、那智山の青岸渡寺(尊勝院)、山梨の久遠寺(覚林房)、
    長野の兄部坊(このこんぼう)、大津の円満院門跡など、全国各地の寺院で、
    本山での修行の場、また信者の参詣のための宿泊所を目的とし、宿泊と食事を提供している。
     宿坊は主に、宗派の本山といわれる寺に多く、たとえば和歌山県の高野山金剛峰寺には53、
    山梨県の身延山久遠寺は39、羽黒山の門前には34の宿坊がある。
    そのほか、地方の小さな寺が営む宿坊もあり、それぞれ座禅や写経、法話にお勤めへの参加、
    地元食材を使った精進料理を食べさせるなど、個性豊かであり、
    88カ所巡りに出る前に、仏教やお寺とは何なのかを学ぶのもいいでしょう。
    参 : 宿坊研究会(HP)、覚林坊(HP)、大善寺(HP)、福王山正覚寺(HP)、
        浄蓮華院(HP)、可睡斎(HP)、恵光院(HP)、文殊仙寺(HP)
数珠(じゅず) = 数珠(宗教関連に別掲)
焼山寺(しょうさんじ) : 第12番札所。徳島県名西郡神山町下分字地中318にある真言宗高野派の寺院。
    標高938mの焼山寺山の8合目付近にあり、「一に焼山、二にお鶴、三に太龍」と言われていたほど、
    88カ所の中で最も険しい難所である。本尊は虚空蔵菩薩
    遍路用品・単品あり。宿泊・100人(要予約)。TEL:088−677−0112
常楽寺(じょうらくじ) : 第14番札所。徳島県徳島市国府町延命606にある高野山真言宗派の寺院。
    88カ所中唯一、弥勒菩薩を本尊とする。弘法大師が刻んだこの2尺6寸(80cm)弥勒菩薩は、
    釈迦入滅後、56億7千万年後にこの世に下生し、衆生を救済すると言われている未来仏である。
    歩きにくいほど断層がある自然の大岩盤でできた「流水岩の庭園」が境内にある。
    TEL:088−642−0471
禅師峰寺(ぜんじぶじ) : 第32番札所。高知県南国市十市3084にある真言宗豊山派の寺院。
    神亀年間(727〜729年)に聖武天皇の勅願により行基が建立した後、
    807(大同2)年に弘法大師が来錫し、求聞持法を修し、
    土佐の海の航海安全を祈願しながら十一面観世音菩薩を刻んで本尊とした。
    海上交通の安全を祈願して建立されたことから「船魂観音(ふなだまかんのん)」とも呼ばれている。
    境内から土佐湾が一望でき、日の出と夕景は特に美しいという。
    新しい寺の行き方として、この寺はユースホステルを経営している。通夜堂の変形である。
    そこには当然若者向けのアイデアが生きている。この寺で言えば、例えば名物の奇岩に
    面白い知的な名がついている。曰く三猿の岩(見ざる、聞かざる、言わざる)八峰列島岩、
    座禅岩、同行二人岩など、昔と今の結合である。遍路用品・いろいろあり。TEL:088−865−8430
善通寺(ぜんつうじ) : 第75番札所。香川県善通寺市善通寺町3‐3‐1にある真言宗善通寺派総本山。
    弘法大師生誕の地で、真言宗善通寺派の総本山として高野山、東寺と共に大師三大霊場の一つに
    数えられる。本尊は薬師如来。大師が書を、母の玉依御前が仏像を描いたという
    「一字一仏法華経序品」、留学中に恵果和尚から真言宗第八祖の証として授けられた
    「三国伝来金銅錫杖」はどちらも国宝で、宝物館で閲覧できる。
    また、真っ暗で壁を頼りに手探りで歩かなければならない御影堂地下の戒壇廻りは有名。
    仁王門をくぐれば、西院本坊の御影堂に進む。その地下に、
    能満所願の本尊をお祀りした戒壇めぐりがある。真暗な中を、左手で壁をなでながら89mを行く。
    だんだん怖くなり「南無大師遍照金剛」が自然に口に出る。
    中程の、大師がお生まれになった下の所に祭壇が設けられており、その御灯明の明るさでほっとする。
    遍路用品・一式あり。宿泊・250人。TEL:0877−62−0111
大日寺(だいにちじ) : @第4番札所。板野郡板野町黒谷字居内5にある天台宗の寺院。
     弘法大師が彫ったといわれる約55cmの大日如来を本尊とするが、秘仏とされている。
     朱塗りの山門は上部が一階部分が角柱、二階部分が丸柱という変わった造りになっている。
     TEL:088−672−1225
    A第13番札所。徳島県徳島市一の宮町西丁376にある真言宗大覚寺派の寺院。
     明治時代の神仏分離令により、一宮にあった行基作の十一面観世音菩薩がここに移され本尊となり、
     弘法大師の刻んだ大日如来が脇侍仏になったといわれている。
     遍路用品・単品あり。宿泊・100人。TEL:088−644−0069
    B第28番札所。高知県香美郡野市町母代寺476にある真言宗智山派の寺院。
     天平年間(729〜749)、聖武天皇の勅願により行基が開基した。
     まもなく荒廃したが、815(弘仁6)年に弘法大師が訪れて再興した。
     本堂には行基が刻んだ約145cmの本尊・大日如来座像が安置されている。
     この寺の奥の院は、200m先のところにあり、楠に刻まれた大師爪彫りの薬師如来が祀られてある。
     最近は奥の院に参る人も少なく、この寺でもその楠で印をつくり、納経印としている。
竹林寺(ちくりんじ) : 第31番札所。高知県高知市五台山(ごだいさん)3577にある真言宗智山派の寺院。
    724(神亀元)年、聖武天皇の勅願により行基が開創した土佐屈指の古刹(こさつ)
    二層の仁王門をくぐり、石段を登ったところにある本堂は、
    本尊の文殊菩薩座像をまつっていることから文殊堂と呼ばれている。本尊の文殊菩薩、
    4人の侍者を従えて獅子に乗った「騎獅子文殊」で、50年に1度しか開帳されない秘仏で、
    次回の開帳は2014年。本堂とともに国の重要文化財に指定されている。
    この寺の脇坊妙高寺の僧純信と、五台山下いかけ屋の娘お馬とのロマンスは「よさこい節」で有名だが、
    結末は次のようになっている。1855(安政2)年、二人は駆け落ちして、讃岐でつかまり、
    純信は追放されて伊予川之江で寺子屋の師匠となり、
    お馬は須崎の庄屋お預けの身から、大工寺埼米之助の妻となった。
    遍路用品・単品あり。TEL:088−882−3085
道隆寺(どうりゅうじ) : 第77番札所。香川県仲多度郡多度津町北鴨1‐3‐30にある真言宗醍醐派の寺院。
    「目なおし薬師さま」として有名で、天平年間の1586年、30代目住職により再建された本堂には、
    胎内にもうひとつ如来像があることから腹ごもり薬師、二体薬師と呼ばれる本尊の薬師如来
    安置されているが、これは50年に1度開帳さける秘仏となっている。
    四国札所には現在五重塔が4塔ある。70番・本山寺、75番・善通寺、86番・志度寺で、3塔が香川県。
    あと1塔は高知県の31番・竹林寺にある。この寺にも、かつて五重塔が建っていたが、
    1574(天正3)年長曽我部元親によって焼かれた。今、その跡に、
    昭和55年春完成した二層の多宝塔がある。遍路用品・単品あり。TEL:0877−32−3577
藤井寺(ふじいでら) : 第11番札所。徳島県麻植郡鴨島町飯尾1525にある臨済宗妙心寺派の寺院。
    本尊は弘法大師作の薬師如来(3尺の座像)で、平安時代に年号が記されており、
    900年以上前のものとされ、国宝にも指定されている。
    現在の伽藍は万延元年の再建で、護摩壇が築かれている八畳岩には弁財天を祭り、
    さらに100m奥には奥の院があって、そこには大日如来を本尊として安置している。
    大師が植えたという立派な藤の木があり、紫や白の藤の木が境内いっぱいに植えられている。
    遍路道を自然遊歩道にしようという運動が起こっているが、趣のある道は消えつつある。
    そのなかで、この藤井寺から焼山寺への道は、途中に大師お休みの長戸庵、
    お加持水のある柳の水奥の院、大師堂のある柳水庵、大師お手植えの杉の大樹がある一本杉庵と、
    適当な休憩所もあり、16km8時間の素敵な道で、旧道もおすすめします。
    遍路用品・単品あり。TEL:0883−24−2384
札所の石段(ふだしょのいしだん) : 寺は、山門を入って各堂に向かって上がっていくのが多い。
    下るのは無間地獄に落ちるようだとして珍しがられたりし、48番・西林寺、82番・根香寺などがある。
    従って、寺には石段が付きものとなる。八十八ケ寺で石段の数が多いのは、
    弥谷寺の540段、この切幡寺の450段、最御崎寺の400段などである。
最御崎寺(ほつみさきじ) : 第24番札所。高知県室戸市室戸岬町4058‐1にある真言宗豊山派の寺院。
    境内には、多宝塔、大師堂、聖天堂、護摩堂、宝物館、遍路センターなどがある。
    宝物館にある石造如意輪観音半跏像、薬師如来座像、月光菩薩立像の3体と
    足柄時代の銘入りがある三足の丸盆一対は、国指定の重要文化財。
    本尊は虚空蔵菩薩。大師は18歳で自分の進む道は仏教だと悟られた。
    しかし、当時の奈良仏教には満足できず、大峰・高野に入り阿波の大竜寺まで修行し、
    ここ室戸の先端に立って、つまり大自然のまん中に入ることによってほんとの悟りを得た。
    それまでの無空、如空、教海から空海と言う名前に、この地で改められた。
    遍路用品は、納経帳、お守りなどの単品はあり。宿泊・120人。TEL:0887−23−0024
八栗寺(やくりじ) : 第85番札所。香川県木田郡牟礼町牟礼3416にある真言宗大覚寺派の寺院。
    「八栗の聖天さん」とも呼ばれ、札所では珍しい歓喜天霊場として知られている。
    歓喜天信仰は弘法大師が唐より持ち帰ったと言われ、
    福徳自在、商売繁盛、夫婦和合の御利益があると、多くの参拝者が訪れる。
    本尊は聖観世音菩薩。登山には八栗ケーブルを利用する人も多い。
    本堂と歓喜天を祀った聖天堂との間の、両側に赤い千人札が林立している石段を登っていくと、
    中将坊という堂がある。この寺の守護神、天狗様が加護のために働いてくださった証拠に、
    必ずその下駄の歯が汚れているという。TEL:087−845−9603
屋島寺(やしまじ) : 第84番札所。香川県高松市屋島東町1808にある真言宗御室派の寺院。
    753(天平勝宝5)年、唐の名僧・鑑真和上が屋島北嶺にお堂を建てたのが始まりとされる。
    後に弘法大師が伽藍を現在の南嶺に造営して中興開山の祖と仰がれた。
    また、源平合戦ともゆかりの深い寺としても知られている。
    本堂は鎌倉時代後期に建てられたもので、本尊の十一面千手観世音菩薩と共に重要文化財。
    この山の狸太三郎は、佐渡の三郎狸、淡路の芝衛狸とともに日本三名狸と言われる。
    屋島寺住職の代かわりの時は、屋島合戦の模様を鳴り物入りで実演して見せたりしたと言うが、
    日清・日露の戦争に多くの乾分を連れて出征して大いに働いたあと、死んだという。
    今、本殿横に祀られ、水商売の神となっている。TEL:087−841−9418
霊山寺(りょうぜんじ) : 第1番札所。徳島県鳴門市大麻町板東字塚鼻126にある真言宗高野派の寺院。
    発願の寺・一番さんとして親しまれ、本堂には弘法大師の作と言われる釈迦如来が安置されている。
    天平年間(729〜749)に、聖武天皇の信頼を受けていた行基が、天皇の勅願により開基した。
    遍路用品・一式あり。宿泊・150人。TEL:088−689−1111
輪袈裟(わげさ) : 幅6cmぐらいの輪状の袈裟のこと。仏教の僧侶の法衣を簡素化した巡拝の略礼服で、
    僧侶が身につける他、在家信徒も法会参列時に使用し、お遍路巡拝には欠かせない。
    梵語で「混濁色」を意味するカシャーヤ(KAsaya)を音訳したもので、
    糞掃衣(ふんぞうえ)、福田衣(ふくでんね)ともいう。
    略式の法衣として主に外出用に用いられ、巡拝しやすいように首にかけ、胸に垂らす。
    天台宗・真言宗・浄土宗・浄土真宗などで使用され、さまざまな色がある。
    
    四国八十八ヶ所霊場用輪袈裟(並)(有限会社・詠智会HPより)
    
    四国八十八ヶ所霊場用輪袈裟(並)使用例
    輪袈裟を外すときには下に直接置かず、必ず上座や机の上に置き、
    お手洗いなどの不浄な場所や食事の際は必ず取り外すのがマナーとされている。




























































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