身近情報(本州編)
★2007年8月23日(木)からマイカーによる全国一周一人旅に出かけます。
 23日は20歳から2年間過ごした島根県の浜田に一泊し、その後は日本海沿いを北上し、
 北海道を一周して太平洋沿いを南下して一旦我が家に帰り、九州から沖縄を周ります。
 佐渡島は5月に訪れ、四国はお遍路を予定しているので、この度は周りません。
 ノートパソコンを持参しますが、これまでのように毎日のHPの更改は難しくなりそうです。
 途中経過はこのページやHPでお知らせします。
 1枚の画像が大きくてページが重過ぎるので「本州編」と北海道編」に分割しました(2008.5.26)。
 8月31日〜9月9日までは「北海道編」へ。
初日8月23日の7時40分に我が家を出発し、8時半には島根県益田市の藩竜湖に着く。
 48年前の湖のほとりの松は松食い虫の被害でほとんど無くなり、当時歩いた場所は分からなかった。
 
 藩竜湖のボート乗り場
 11時半に浜田に到着し、漁港や千畳敷を散策。
 
 千畳敷の一風景
 
 千畳敷へのトンネル内より
 2年間住んでいた独身寮を、 炎暑の中1時間以上探し歩き、やっと見つけたが、
 当時の面影はほとんど残っていなかった。
 
 会社の借上げ独身寮だったが、当時の面影は2階のみ(2F一番右の部屋にお世話になった)
 
 山陰本線の浜田駅
 5時半に浜田ステーションホテルにチェックインした。
 無料のLAN回線を借り、持参のノートパソコンでインターネットが快適に利用できた。
2日目の24日は、7時過ぎにステーションホテル1階のニューポートで700円のバイキングを摂り、
 8時頃に出発。途中、温泉津温泉により、5月に家内と来た時には、
 元湯の48度の方の浴槽には熱くて入れなかったので、このたびは薬師湯を利用した。
 その後、馬路の琴が浜海水浴場により鳴き砂を確かめたが、砂を踏んでも昔のように鳴らなかった。
 昔のようにきれいな砂浜だったが、汚れてきたのだろうか。
 
 昔は良く鳴いていた馬路の琴が浜
 
 萬福寺の雪舟の庭
 石見銀山を目指したが、道路標識がなくて通過してしまい、
 皆生温泉に1時半頃に着いた。インターネットの使えるシーサイドホテルを予約し、境港まで行き、
 ミズキロードでゲゲゲの鬼太郎や妖怪たちの写真を撮って、ホテルに引き返す。
 
 ミズキロードの鬼太郎と目玉の親父
 シーサイドホテルのLAN回線は、モデムとLANケーブルの使用料が1050円もしてサービスが悪い。
 全国ほとんどのホテルは無料で、モデムを部屋まで持ち込むところはない。
 モデムの持ち込みは9月5日の北海ホテルもありました。
3日目の25日は、8時頃にシーサイドホテルを発ち、気高町宝木の「ヒーポッポ」で450円のモーニングを
 摂ったが、コーヒーはホットミルクに快く代えてくれ、面白いサボテンの名を聞いたら、挿し芽までもらった。
 11時過ぎに余部鉄橋の写真を撮る。
 
 突風で電車が落下した余部鉄橋
 12時半頃に城崎温泉に着き、駅前の観光案内所で素泊まり6300円の泉都オータニホテルをとってもらった。
 チェックインが3時なのでそれまで玄武洞に行ったが、秋芳洞のように中に入れる洞窟ではなかった。
 
 見事な自然石の芸術(玄武洞)
 7つの湯めぐりは、城崎駅そばの「さとの湯」に交通安全祈願の「一の湯」と、翌朝の「地蔵湯」の
 3つだけ利用した。
4日目の26日は、7時過ぎに地蔵湯に行き、8時過ぎに城崎温泉を発つ。
 ナビを天橋立に設定していたてのに、大幅に南下し、しかも同じ所を3回も周り、
 100キロくらい余計に走ったので、予定を1変更して小浜に直行し、
 5月上旬に撮った地村保さんとの写真を渡しによったら留守で、 息子さんのところを探してことずけた。
 芦原温泉で泊まることにしたが、インターネットができる旅館がなく、
 三国温泉の三国観光ホテルを予約し、4時半頃にチェックインした。無料のランドリーで下着の洗濯をした。
5日目の27日は、8時20分頃にホテルを発つ。8時45分には東尋坊に着き、
 ローソク岩など18枚の写真を撮る。
 
 東尋坊のローソク岩
 
 有名画家の描いたローソク岩(三国観光ホテル所蔵)
 午後1時頃に初めての富山市内に入り、ドーミンイン富山を予約し、
 富山城址公園に行き、城内の展示物を観る。無料バスのスタンプを押してもらい、
 循環バスで民俗民芸村により、その後館長が500羅漢の近くまで案内してくれた。
 
 長慶寺の五百羅漢530体のうち数体が見える
 売薬資料館にもより、懐かしい越中富山の薬売りの品々を観賞した。
 IBMに問い合わせ、ようやくホームページをサイトに転送できるようになった。
 転送設定が数時間とあまりにも長いので、途中で止めたのが原因で、
 いままでの設定データを消去して解決した。
6日目の28日は、8時半にドーミーイン富山ホテルを発つ。道の駅(笹川流れ)で昼食。
 
 笹川流れの一風景
 途中から高速に乗り、日本海高速に乗り継ぎ、
 ここも初めて訪れる酒田に泊まることにし、酒田駅前の東急インに5時にチェックイン。
 ホームページのサイトは初期設定により作成できたものの、トップページ以外は
 「リンクされていないHTMLファイル」にすべてのファイルが入ってしまった。
7日目の29日は、8時過ぎに東急イン酒田を出発。一般道のみを利用し、途中は道の駅によっただけで、
 ホテル・ドーミーイン秋田には11時過ぎに着いたので、男鹿半島の入道崎(にゅうどうざき)まで足を伸ばし、
 3時前にホテルにチェックインした。ホテルの駐車料千円は痛い。
  
 入道崎(男鹿半島)
 リンクされていないHTMLファイルをリンクさせるには、
 「ツール」→「オプション」→「ビジュアルサイトビュー」タブ→「展開レベル数」を3から2に変更→
 「エラーのあるページまで展開」のチェックを外すだけでよい。
 サイトから全ファイルをコピーし、今日からホームページの更改ができると思ったがファイル転送時に
 エラーコード:553で、サーバー上のファイル(なし)の転送エラーが出て転送できなかった。
8日目の30日は、8時前にホテルを発ち、国道7号線を北上し、海岸沿いを走るつもりが、
 能代から山間部に入ることが分かり、東北自動車道の碇ケ関ICから 高速道にのり、
 1時過ぎに青森駅前に着いた。、観光案内所で、サンルート青森を紹介してもらう。
 6畳の和室だが、部屋でインターネットはでき、しかも2時からチェックインができるのである。
 650円の駐車料込みで6050円と手頃な料金だった。
 ホームページビルダーについてはIBMに聞きながら3日間設定しているが、
 エラーでホームページの更改がいまだに出来ない。3日間で数時間も携帯で話し、通話料もかさむばかりだ。
 同じことを何度も確認させ、結局、回線は良くて
 ホームページビルダーに問題があるというのが分かっただけである。
 このページはビルダーのサイト転送に関係なく、ページ転送で行った。

8月31日〜9月9日までは「北海道編」へ。

19日目の9月10日は、昨夜は疲れはてて10時過ぎには床に就き、ホームページの更改はしなかった。
 7時にホテルの洋定食を摂り、8時過ぎにホテルを発ち、函館港のフェリー乗り場に向かったが、
 また道路標識が悪く、フェリー乗り場の標識を見て着いた所は別会社のフェリー乗り場で、
 東日本フェリーは1.5km先の別場所にあり、9月からのダイヤ変更で20分遅れていたので、
 どうにか乗船することができたが、フェリー会社が2社ある場合は、 東日本フェリーの方は
 「1.5km先」を表示すべきだ。北海道は旅行者の立場にたった案内をしていないように思うが、
 北海道の人に聞くと、今の標識で何の問題もないという。
 
 函館港の東日本フェリーの発着場(左から1番、2番、3番ターミナル)
 
 車と運んでもらった東日本フェリー(びるご)
 青森に着いてからカーナビを竜飛岬に設定して日本海側の温泉地で一泊する予定だったが、
 青森からの380号線のほとんどが40キロ規制で追い越しもできず、
 青森の車の後を走ったら予定より2時間遅れた。しかし、数キロに渡るあじさいロードに
 今なお所々に咲いていたあじさいが、目を楽しませてくれた。
 
 いまだに咲いていたあじさいロードのあじさい
 
 竜飛崎
 
 後方は龍飛崎灯台
 
 日本で唯一の階段国道339号線
 
 龍飛崎の最先端
 
 龍飛崎の日本海側の竜浜海岸
 竜飛岬に泊まることにして宿を探したが、竜飛ホテルは最低でも1万5千円なので、
 海岸沿いの民宿を探してやっと1軒泊めてくれた。
 民宿というものを初めて利用した。風呂は一般家庭にあるような浴槽だったが、
 料理がすばらしくビールから焼酎に代えたが食べきれずに、ごはんと味噌汁はストップした。
 食後に自衛隊の基地で通信関係の工事をしている人たちの部屋で2時間ばかり話して10時半頃から
 部屋に戻ってホームページの追加にかかる。携帯電話でもインターネットを利用できるように契約してきて、
 今日初めて使ってみてうまく動作することが分かったが、パケットの量が大きくて料金がかさむので、
 アップロードは無料のホテルのLANを利用することにした。
20日目の9月11日は、民宿の位置から竜飛岬の最北端で寝泊りしたことになる。
 6時過ぎから7時過ぎまで昨日撮れなかった津軽海峡冬景色歌謡碑などの写真を撮りに車ででた。
 
 津軽海峡冬景色歌謡碑
 
 民宿「津軽海峡亭」の夕食
 
 一泊2食6000円の民宿の食事
 8時前に宿を発ち、日本海側を南下し、十三湖(吉田松陰の遊賞之碑は吉田松陰へ)や弘前城を観る。
 
 117段を登ったところにある眺瞰台展望よりの眺望
 
 七つ滝(「」参照)
 弘前城には専用の駐車場がないので、市役所のと駐車場を利用した。他に観光会館の駐車場もある。
 初めての酸ヶ湯温泉に入る。入り口は男女別だが、中に入ると浴槽の中程に標識があるだけで、
 双方が丸見えなのである。石鹸・シャンプー類の使用も禁止されている。
 
 酸ヶ湯温泉
 目移りがして落ち着けないので30分ばかりで温泉を後にし、
 一気に大湊まで走り、5時前に着いたが、ホテルは満室で、やっと3軒目の旅館が空いていて、
 80歳近い宿の主人が、タクシーで車を置いているスーパーまで送ってくれ、
 タクシーが旅館の駐車場を案内してくれた。
 6時過ぎには食べきれないほどの夕食が出て、ビールを1本飲んだ分、飯と味噌汁は残してしまった。
21日目の9月12日は、旅館を7時頃に発ち、途中ガソリンを注ぎ、本州最北端の大間崎に10時頃に着いた。
 
 大間崎の灯台
 
 店のおばさんが与えた魚の内臓に群がるカモメ
 みやげなどを買い、10時半頃に発ったのに、岩手に入って4〜5キロ位の間隔で道路工事があり、
 釜石のホテル・マルエに予定より1時間以上遅れて5時過ぎに到着した。
 あんなに多くの道路工事を一度に認可するなと言いたい。
 下着の洗濯をセットして風呂に入り、乾燥が終わって7時半頃に外食に出た。
 飯は2時過ぎに道の駅で定食を摂ったので、ホテル勧めの2000円の「ほろ酔いパック」を試してみることにし、
 のんべえ横丁の25軒の中から「鬼灯(ほおずき)」を選んだ。美人のママさんやお客と話しがはずみ、
 お客さんから焼酎2杯をいただいたりし、10時半頃にホテルに戻った。
 今日1日だけで444km走行した。
22日目の9月13日は、7時にむすびと味噌汁とコーヒーという変わったホテルの軽食を摂る。
 8時半過ぎにホテルを発ち、ホテルのチラシに国の重要文化財と載っていた「橋野高炉跡」に
 行ってみることにした。国道45号線を釜石の方に戻り、途中県道35号線に入り、9時半頃に着いた。
 
 橋野高炉跡
 まともな道標がなく橋野の旧道に入ってしまい、余分な時間を費やした。フイゴ座跡など一帯を観て回る。
 10時半頃に像高48.5mの釜石大観音に着き、500円の拝観料を払ってエスカレーターで昇り、
 仏舎利塔の中も拝観1する。11時過ぎにすぐ近くの太平公園の頂上に登り、ここからも観音像の写真を撮る。
 
 釜石大観音
 
 大観音近くの太平公園にある銅像
 大石漁港まで行き、死骨崎から仏ヶ崎の写真を撮る。
 
 仏滅の日に死骨崎から仏ケ崎を望む(中央部分が仏ケ崎の突端)
 
 大石漁港にある伊能忠敬の測量の地碑
 帰りは小刻みな急カーブばかりの林道(284号線)を走ったが、かなりの長距離でくたびれた。
 宿に着くのがかなり遅れそうなので、三陸高速に入ったら、仙台方面への道路はないと案内板あり、
 無駄な往復をしたので、さらに1時間ばかり遅れ、一関ICから仙台宮城ICまで東北自動車道を利用し、
 ようやく4時半頃に「プリンスホテル青葉」に着いた。ホテルの予約をLAN可能として検索したのに、
 設備がなくてアップロードができなくがっかり。ビジネスホテルならLAN設備は最低の条件だ。
 プリンスホテルとは名前負けするホテルで、フロントだけはまあまあだったが、
 設備など全てが今までの宿のうちで最低だった。
 
 よくもこんな部屋を提供するものだ! 窓の中央に大きな柱があり、息苦しくなる
 仙台駅まで歩き、駅ビルの居酒屋で外食し、10時には床に就く。
23日目の9月14日は、7時過ぎにホテルを発ち、ガソリンを注いで仙台城跡に向かう。
 観光駐車場を探したが分からずに多くの車が停まって所に駐車し、
 歩いて大手門から仙台城跡と博物館などを周る。
 
 仙台城跡の大手門
 
 仙台城跡にある伊達政宗騎馬像
 その後仙台の大観音に向かい、9時半頃に着く。
 
 仙台大観音
 お賽銭をあげて中に入ろうとしたが、「本日は終了しました」とのことで、秋保温泉に向かう。
 10時半頃に着き、観光案内所でLAN設備のあるホテルを聞いたが、秋保にはなかった。
 遊歩道から650メートルもある磊々峡を写真に収めながら歩いたが、
 9月の中旬になってもなお暑さきびしい東北路にはまいった。予定よりかなり時間をくったので、
 温泉には入らずに秋保大滝に行く。滝のそばの茶屋でずんだ餅なるものを初めて食べる。
 
 秋保大滝
 
 茶屋のずんだ餅
 チェックイン予定の4時には到着できそうもないので、仙台南ICから福島飯坂ICまで
 東北自動車道を利用したら3時前に福島駅前に着き、東横インを予約し、
 チェックインの4時まで福島県庁に行き写真などを撮る。明日は九十九里が浜で一泊する。
 昨夜早めに床に就いたので、写真は次回にまとめて載せます。
24日目の9月15日は、ホテルのむすびと味噌汁の朝食にコーヒーを飲み、
 立体駐車場の車を自分で操作して出して8時頃に発ち、犬吠岬に向かう。犬吠岬灯台に登って写真を撮る。
 
 犬吠岬灯台
 
 灯台よりの犬吠埼
 ネットの予約ではホテルの名は「飯岡温泉グロリア九十九里浜」だったので、
 飯岡温泉の看板があると思っていたが、何もなくて飯岡灯台の方に入ってしまい、
 店の主人が地図までくれて親切に説明してくれてどうにかたどり着けた。
 ホテルに掲げている看板は旧名称のままだったのである。5時前にホテルの温泉に入り、
 サウナで汗を流し、茶色で屋外に露天風呂らしきものがあった。
 6時前にホテルの屋上から夕日を数枚撮る。
 
 九十九里浜の夕日(堤防の付け根が九十九里浜の起点)
 6時過ぎからビール1本追加の夕食。飯と味噌汁はセルフサービスで、
 寝床とシーツもお客まかせというホテルは初めてだった。
 9時半頃に2度目の温泉に入り、10時過ぎにホテルの支配人と囲碁をやり中押しで勝つ。
 その後ホームページの整理をし、12時頃に床に就く。明日は東京だ。
 25日目の9月16日は、5時に起きて朝日を撮りにホテルの屋上に上がったが、
 近くに雲がわいていて良い写真が撮れなかった。
 
 日の出前の九十九里浜
 
 九十九里浜の日の出
 
 九十九里浜の海水浴場はキャンプ場になっていた
 
 九十九里浜の中間地点あたり
 7時半にホテルを出て房総半島を一周するつもりでいたが、
 県道30号線で乗用車どうしの衝突事故や渋滞が続き、有料の九十九里道路で引き返し、
 市原、千葉経由で浅草に12時半頃に着き、2時前にホテルサンルート浅草にチェックインした。
 
 浅草公会堂前のスターの広場にある手形(私の手と大きさがぴったりの笠智衆の手形)
 26日目の9月17日は、7時過ぎにホテル2Fのジョナサンで朝食。
 10時半頃にホテルを出て浅草近辺をドライブし、浅草郵便局のATMで生活費をおろし、昼近くになったので、
 駐車場のある食事場所を探したがどこにもなかった。
 
 吾妻橋西詰よりアサヒビール本社の巨大モニュメント(ジョッキに入ったビールの形)を望む
 外観は「燃える心」を表現した金色の炎のオブジェでもあり、
 躍進するアサヒビールの心の象徴だと言われている。

 墨田公園そばの公道の駐車スペースが一つだけ空いていたので料金を入れたが、故障で硬貨が入らず、
 また浅草をさまよい走り、3時j前にようやくブルーウェーブホテルイン浅草にチェックインした。
 部屋は510号室だったが、このホテルもランドリーがなく、あさってはランドリーのあるビジネスホテルを
 予約しよう。4時に友人と待ち合わせし、岩手名物の丸こんにゃくなど、重たいみやげをもらったので、
 二人でホテルまで同行し、みやげを置いて飲みに出て9時半頃にホテルに戻る。
 
 初めて見た扉の閉まった浅草寺(せんそうじ)
 
 夜の浅草寺の宝蔵門と五重塔
 ホームページの更改をして12時頃に床に就く。
 27日目の9月18日は、8時頃に浅草線で三田まで行き、泉岳寺に参り、
 上野に行きアメ横でエビカレーの昼飯。西郷さんの銅像を撮るも何十年と変わりがない。
 
 アメ横入り口
 
 6年前当時のアメ横入り口
 
 上野恩賜公園の西郷隆盛像
 
 不忍池の弁天様
 
 不忍池のほとりの切り株の窪みに寝ていた三毛猫
 不忍池を周り、山手線で新橋に出て、飲み食いをし、浅草線で11時前にホテルに戻る。
 28日目の9月19日は、7時過ぎにホテルを発ち、靖国神社を参拝する。
 その後代々木公園に行き、売店でビーフカレーを食べたが、お冷もでなかった。
 
 代々木公園の噴水
 国会議事堂を見物するつもりで駐車場を探したが見当たらず、
 警備の警官に聞いたらバスの駐車場だけしかないとのことだったが、そんなことがあっていいものだろうか。
 しかたなく江戸城跡に行くことにして北詰橋近くにある駐車場を利用したが、公園整備費なるものが含まれ、
 3時間までが400円なのはよいが、5分でも400円なのである。 
 本丸跡を中心に左回りに一周した。通行止めが各所にあり、無料拝観なので文句は言えないが、
 手前に「この先通行止め」の立て札を立てるべきだ。
 
 江戸城の本丸跡には芝生が敷き詰められていた
 
 百人番所
 
 二の丸庭園の一風景
 
 出入りした北詰の門
 大手門の写真を撮りたかったが、出口なので通行票を返せと言われ、北詰橋に引き返した。
 帰りは渋滞がなく、ホテルには4時がチェックインが30分前に着いたが、
 ブルーウェーブホテルイン浅草のように30分で250円の追加駐車料は取られなかった。
 29日目の9月20日は、7時過ぎにホテルの風呂に入り、ロビーのLANを借りてHPを転送し、
 8時半頃にホテルを発つ。妹の所に寄ることにし、カーナビを座間市の相模が丘にセットし、
 途中1箇所道を間違ったが、11時頃に着き、家を確認しておいて、
 近くの「とんでん」というところで早めの昼食を摂り、相模原市下溝にある県立相模原公園に行く。
 車は総合体育館の駐車場に置き、公園を散策した。
 
 神奈川県立の相模原公園の噴水広場
 有料のグリーンハウス(大温室)は県外の者でも65歳以上は無料だった。
 
 相模原公園のグリーンハウス
 
 相模原公園の一風景(奥にあるのはススキの植え込み)
 中のシアターでは一人だけの貸切で25分の花の映像を楽しめた。
 隣接している市営の相模原麻溝公園にも回り、展望塔や ふれあい動物広場などを観て歩き、
 4時頃に戻り、時間があるので散髪をした。7時半頃に妹の娘の家に子供たち全員が集まり、
 11時過ぎまで歓談した。妹のアパートに戻って12時過ぎに床に就く。
 30日目の9月21日は、7時前にアパートを出て、伊東、熱海とLAN設備のある宿を探したが、
 ロビーで利用するものばかりで、下田まで足を伸ばしたが、1軒素泊まり9000円近いホテルには
 無線LANはあったが、安い「とん亭」に泊まることにし、3時 前にチェックインした。
 下田ロープウェイで200メートルの寝姿山に昇り、4時前に宿に戻った。
 
 寝姿山より須崎方面を望む
 
 寝姿山で彼岸花を撮っていたら、偶然によってきたアゲハチョウ
 
 江戸時代の見張り番所跡より下田港を望む
 
 午後5時15分の最終便が出会う直前のゴンドラ
 一休みして宝福寺の唐人お吉記念館や吉田松陰の拘禁の跡などを歩いて周り、7時前に宿に戻り、
 1階の食事処で、ホテルの生ビール1杯サービスなどで夕食。歩き疲れ、9時過ぎには就寝。
 31日目の9月22日は、昨夜は疲れて9時過ぎには床に就いたので、今朝は4時過ぎに起きる。
 シャワーを浴びて7時半頃に下田駅前のマクドナルドで440円のサラダマリネベーグルセットを摂り、
 8時過ぎにホテルを発ち、伊豆半島最南端の石廊崎(いろうざき)に向かう。
 
 大瀬港より石廊崎を望む
 間違って少し手前の大瀬に入り、店の前の駐車場に停めたら、店の主人が出てきて「ここに停めたら
 店でジュースなど何かを買ってもらうことにしています」と言うので、のどが渇いていたこともあるし、
 ポカリスエットを買ったら、小さいボトルで160円とられた。
 少し走り、奥石廊崎公園の頂上まで歩いて登った。
 
 奥石廊崎公園よりの風景
 
 恋人岬近くの風景
 しばらく136号線急カーブ道を走り、土肥(とい)温泉の公衆浴場で一番高い500円の「弁天の湯」に入ったら、
 なんと源泉49度のままで、水をかなり入れたが、5分くらいであがった。
 後からきて隣の露天風呂に入った人も、ホースの水を体に当てながら入っていた。
 最初に入って貸切状態であったにせよ、石鹸もシャンプーもないのだから、せめて温度調節くらいして欲しいね。
 
 土肥温泉公園にある世界一の花時計
 
 土肥温泉の弁天の湯
 
 弁天の湯の近くの旅人岬にある銅像
 その後一部有料道路を利用し、国道1号線を走り、静岡第一ホテルに3時過ぎに着いた。
 1000円の駐車場料を含め朝食付きで部屋の設備もよく、LAN回線も快適に使えて7930円とは、
 言う事なしのホテルだった。しかも1回だけ無料で、ホテルの有料サウナに入れるのである。
 7時半ごろに外食に出て、10時半頃にホテルに戻る。11時半頃に床に就く。
 32日目の9月23日は、シャワーを浴び、ホテルで朝食。洋食を選んだが、ジュース、コーヒーは飲み放題で、
 パンのお代わりまで出来る。ホームページを整理していたら、9時過ぎたのでホテルを発った。
 焼津に寄って漁港の写真などを撮る。
 
 焼津の小川漁港近くにある変わった建物「アクアスやいづ」
 
 焼津新漁港には漁船は停泊していなかった
 
 焼津の旧漁港
 その後に大井川を渡り、橋の中間点の町境まで歩いて写真を撮る。
 
 大井川にかかる富士見橋
 
 富士見橋の吉田町側の端
 
 大井町と吉田町の町境(橋の中間点付近)を跨いで下流を撮影
 
 町境(橋の中間点付近)を跨いで上流を撮影
 
 太平橋より上流の富士見橋を望む
 
 太平橋より大井川の河口を望む
 太平橋からも中間点から写真を撮りたかったが、
 炎天下に富士見橋の真ん中まで往復したので、すでに歩く気力はなくなっていた。
 吉田公園で昼食を摂った後は、吉田ICから東名高速道に入り、名古屋までひたすら走る。
 
 吉田公園の入り口付近
 
 吉田公園のススキ(相模原公園のススキと植え込み方法が似ていた)
 大須のローズコールホテルには3時過ぎに着いた。ホテルで結婚式があり、ロビーが賑わっていた。
 部屋は最上階の802号室で、17インチのノートパソコンを置いたらマウスを使うスペースがないので、
 別のデスクまでLANケーブルをひっぱった。このことと、私にはライトが少し暗いくらいで、
 他には言うことなしの良いホテルだった。7時半頃に食事に出て、8時半にはホテルに戻る。
 33日目の9月24日は、ホテルの朝食を摂り、8時過ぎに発ち、カーナビを鈴鹿に設定し、
 50年ほど前に訓練のために降り立った白子駅によったら、まったく当時の面影はなく、
 
 当時の面影はまったくない白子駅
 その後に何度も世話になった会社の訓練施設の広大な土地と施設はすでに人手に渡って工事中であり、
 当時の面影はわずかにあるのみで、がっかりした。なぜか案内板などはそのまま残っていた。
 田園だった周りには警察署などがひしめき、都会並となっていた。
 
 すでに人手に渡っていた会社の研修施設
 
 正門横にあるこの碑は覚えがなかったが、その後に建立されたのだろうか
 
 桜並木は昔のままだった
 松坂城跡などによるつもりだったが、雨が降り出したのでそのまま国道42号線を走り、
 チェックイン予定の2時間前に到着しそうなので、キャンプ場などに寄ったが、
 
 孫太郎オートキャンプ場の前で、小雨のなか釣りに興じる親子
 
 孫太郎オートキャンプ場からの景色1
 
 孫太郎オートキャンプ場からの景色2
 
 孫太郎オートキャンプ場からの景色3
 
 オートキャンプ場入り口
 それでも3時前にゆーゆー館に着いた。しかし、まともに到着したわけではなく、
 シーサイドホテルだから海側にあると思って左側ばかり見ていると案内板は何もなく、1キロくらい行き過ぎた。
 なんとホテルは山側の高い所にあった。「紀伊長島マンボウ」という道の駅でカマボコのツマミを買ったので、
 カンビールで一杯やり、4時頃に1回目の温泉に入る。露天風呂の横の椅子で涼みながら
 湯が溢れるのを見ていたら同じレベルのままなので、よく見ると循環式だった。
 34日目の9月25日は、7時にホテルの朝食を摂ると8時j前にはホテルを後にした。
 11時20分頃に橋杭岩に到着して数枚の写真を撮る。
 
 橋杭岩
 
 橋杭岩の駐車場に咲き乱れていたハイビスカス
 
 橋杭岩の駐車場から大島架橋を望む(左側が大島)
 ナビを本州最南端の潮岬に設定して走り、少し手前の生雲台という所に入ったが、
 行き止まりの場所は車の回転場で周りは雑木と雑草が生い茂っていて何も見えない場所だった。
 入り口に「この先行き止まり」の案内板くらいおくべきだ。
 ようやく12時頃に潮岬に着き、潮岬の展望タワーに上り、「本州最南端訪問証明書」なるものをもらう。
 降りるのは2階迄で、そこのレストランで「くじらカレー」の昼食。
 
 本州最南端の潮岬、手前は望楼の芝生
 
 展望タワーより潮岬灯台方面を望む
 
 本州最南端の岩場
 
 本州最南端のモニュメント
 
 望楼の芝生より展望タワーを望む
 その後途中から高速道に入り、予約の「ホテル来山北館」に4時半頃に着いた。
 このホテルはいままでのホテルの内で一番安く、一泊2100と駐車料の1000円との3100円なのである。
 安いといってもサウナ付きの浴場やコインランドリーまであり、
 洗面やトイレが共用なのも各階に多めにあって気にならなかった。
 洗濯・乾燥が終わって8時半頃に外食に出た。
 35日目の9月26日は、7時頃に通天閣あたりの写真を撮り、天王寺公園に行ったら、まだ開いていなかった。
 
 南方面からの早朝の通天閣
 
 北方面からの早朝の通天閣
 通天閣の近くでモーニングを摂ったら、トーストとミルクに卵とサラダ付きで330円で、
 東京の半値で食べられる。姫路城に寄って岡山まで走ることにしていたが、
 携帯の歩数計が19218歩を示していたように、大阪での通天閣周辺に姫路城内や好古園(こうこえん)などを
 歩き疲れて姫路に泊まることにし、姫路シティホテルに5時頃にチェックインした。
 姫路城への案内標識が悪く、一方通行やカーナビの悪さも重なって、駐車場は遠い北側を案内し、
 好古園が城内にあるものと思って共通券を買ったが、一旦外に出ることになるので、
 車を表の駐車場に回したので、駐車場の料金だけで千円になった。
 好古園は30分もいなかったが、5分でも500円とは取り過ぎだと思う。
 それにしてもおかしな姫路の道路行政だで、狭い一方通行の出口には右折禁止や左折の標識がないのだ。
 国道2号線に入るのに左折できないのも馬鹿げている。
 外食は近くの韓国焼肉店でホルモンとカルビーをとったが、タレは甘過ぎ、ホルモンは脂身ばかり、
 カルビーは薄くてすぐにこげるし、飯は食べずにローソンで野菜ジュースと牛乳を買った。
 冷たい牛乳はだめだが、ホテルに電子レンジが備え付けられている。日記だけ付けて10時には床に就いた。
 36日目の9月27日は、昨晩の焼肉のせいか、朝から下痢が続き、7時に発つ予定が8時半頃になった。
 赤穂城跡によることにし、11時頃に着いた。赤穂城址や赤穂市立歴史博物館のほか、花岳寺などを観て、
 車を停めた店で塩味饅頭のみやげを買い込み、山陽自動車道を利用して帰路についた。
 ぼけカーナビが帰宅時間だけはピタリと当てて3時35分に着いた。
 疲れついでに車に張り付いた虫を落とすために洗車をし、
 その後の荷物の整理が7時すぎまでかかった。10時過ぎには床に就いた。
 不規則な食事や間違えた道などのストレスからか、8月23日の出発時から3キロ痩せたし、
 沖縄方面の南下はしっかりと体力が回復した時点で挑戦します。
 8月23日〜9月27日までの全走行距離は7,878kmでした。
 1日に最も多く走ったのは、9月12の青森県の大湊から大間崎経由で岩手県の釜石までの444kmでした。

消毒液の量が多すぎるとこんなことに
        消毒前(白いのは積雪)                     消毒後
  → 
 20年以上、丹精込めて年3回自分で剪定してきた松を、平年の3倍の消毒液(カルホス乳剤)を
 使ったために枯れてしまいました。多くの女郎蜘蛛が発生したために時間をおいて3回消毒したために、
 濃い液と展着剤のために窒息したものと思われます。蜘蛛の祟り〜?
 造園業者が言うには、消毒で枯れた松はそのままにしておけば3年位で新しい芽が出るそうで、
 そういえば切断した松の幹や枝の中は真っ白で、枯れていなかった。
庭石をお譲りします
 庭を削って車庫を拡げたら、庭が狭くなった分の花壇がなくなったために、
 妻が庭石を処分してくれと言うので、手放すことにしました。
 現在は天然記念物となり採掘できない広島県湯来の青石で、個人の庭石として使用することと、
 持って帰られる方のみに無料でお譲りします(業者の転売は不可)。
 40年くらい前、石の白い苔は100年以上経たないと付かないなどとおだてられ、
 隣も一緒に購入することの条件で20万円で買ったものです。
 真ん中の大きい石だけで5トンあり、5トン以上のレッカーが必要ですが、
 運搬賃だけはあなた持ちとなります。なお、石の周りの金木犀、柊、ツツジ、
 サツキもお持ち帰られてもよいので、これから庭を造られる方がよいかと思います。
 [メッセージBOX]からでもご連絡ください。場所は山口県周南市(国道2号線の近く)です。
 

                               
























































 
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